訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

(エッセイ)「どっちが勝つ?」

エッセイを寄稿しました。

 

「どっちが勝つ?」『文學界』2016年8月号、268-269頁。

 

 

とくにナボコフも世界文学も関係ない、普通のエッセイです。

「エセー(随想録)」のコーナーですが、とくに高尚な思想はなく、字義通りのエッセイですね……。

 

訳書二冊刊行のあいだにいただいた依頼ですが、逆に気分転換になり、かえってよかったかと思います。最近は文芸誌にお呼びがかかることもめったになかったので、うれしかったですね。

 

www.bunshun.co.jp

文學界』2016年8月号は本日(7月7日)発売です。特集は夏らしく異色短篇特集「怪」になっております。関心のある方はお手にとってお読みください。

 

 

『ナボコフの塊ーーエッセイ集1921-1975』作品社⑦:刊行になりました。

編訳した『ナボコフの塊――エッセイ集1921―1975』が本日刊行になりました。

よろしくお願いいたします。

 

 

<本商品の特徴>

・日本語完全オリジナル編集

・ロシア語・英語・フランス語のエッセイをすべて原語より翻訳

・全39編(ロシア語19編、英語19編、仏語1編)、448頁のうち、一編をのぞきすべて本邦初訳、初紹介

・「定番」だけでなく、21世紀になってアーカイヴから発見されたものまで、ナボコフの知られざる面を紹介

・ロシア語版『ロリータ』のあとがき、翻訳論、創作論、文学講義補講、言語学習のコツ、蝶の採集記、書評、追悼文、ボクシングのレポート、朗読会メモ、没原稿、レシピまで、多岐にわたる内容を収録

・1921年から1975年まで、半世紀以上にわたる作家人生のすべての時期の散文を採録ナボコフのもうひとつの「自伝」として

・充実した注・解題・訳者あとがき・索引・蝶蛾リスト(!)をふくむ

・折りこみの「ナボコフの招待」は、荒木崇先生の「パグからブルーへ――鱗翅類学者としてのナボコフ

 

 

凡例

 

Ⅰ 錫でできた星――ロシアへの郷愁
・「ロシアの川」

・「ケンブリッジ

・「笑いと夢」

 

Ⅱ 森羅万象は戯れている――遊ぶナボコフ
・「塗られた木」

・「ブライテンシュトレーターVSパオリーノ」

・「E・A・ズノスコ=ブロフスキー『カパブランカとアリョーヒン』、パリ」
・「オペラについて」

 

Ⅲ 流謫の奇跡と帰還の奇跡を信じて――亡命ロシア文壇の寵児、V・シーリン
・「一般化について」

・「ソヴィエト作家たちの貧困について少々、およびその原因を特定する試み」

・「美徳の栄え」

・「万人が知るべきものとは」

 

 ロシア文学のヨーロッパ時代の終わり――亡命文学の送り人
・「Ju・I・アイヘンヴァリドを追悼して」

・「A・O・フォンダミンスキー夫人を追悼して」

・「ホダセーヴィチについて」

・「定義」

・「I・V・ゲッセンを追悼して」

・「『向こう岸』へのまえがき」

 

Ⅴ 英語の母音はレモン、ロシア語の母音はオレンジ――駆け出し教師時代
・「ロシア語学習について」

・「ロシア学のカリキュラムにおける位置」

 

Ⅵ 張りつめているように見えて、だるだるに弛みきっている――口うるさい書評家
・「イヴァン・ブーニン『選詩集』現代雑記社、パリ」

・「『現代雑記』三七号、一九二九年」

・「ディアギレフと弟子」

・「サルトルの初挑戦」

 

Ⅶ 文学講義補講 第一部 ロシア文学
・「プーシキン、あるいは真実と真実らしいもの」

・「決闘の技法」

・「レールモントフ『現代の英雄』訳者まえがき」

 

Ⅷ 文学講義補講 第二部 劇作・創作講座編
・「劇作」

・「悲劇の悲劇」

・「霊感」

 

Ⅸ 家族の休暇をふいにして――蝶を追う人【バタフライハンター】
・「ピレネー東部とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」

・「Lycaeides Sublivens Nab. のメス」

 

Ⅹ 私のもっともすぐれた英語の本――『ロリータ』騒動
・「ロシア語版『ロリータ』へのあとがき」

・「『ロリータ』とジロディアス氏」

 

Ⅺ 摩天楼のように伸びた脚注を――翻訳という闘い
・「翻訳の問題――『オネーギン』を英語に」

・「奴隷の道」

・「翻案について」

 

Ⅻ 私が芸術に完全降伏の念を覚えたのは――ナボコフとの夕べ
・「一九四九年五月七日「著者による『詩と解説』の夕べ」のための覚え書き」

・「ナボコフ氏受賞スピーチ」

 

おまけ
・「ナボコフ風たまご料理」

 

解題

 

編訳者あとがき

 

人名・作品名索引

 

 

「塊」カテゴリーも用意しました。過去記事が見れますので、ご利用ください。

 

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『ナボコフの塊ーーエッセイ集1921-1975』作品社⑥:見本できました。

ウラジーミル・ナボコフナボコフの塊――エッセイ集1921―1975』(作品社)も見本できました。

 

7月4日取次搬入、7月6日ごろから書店にならぶ予定です。

 

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クリーム色の表紙に、タイトル部分黒、英題が銀色の箔押しになっております。

 

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恒例差し込み付録「ナボコフへの招待③」は、本文中もいろいろご協力いただいた荒木崇先生の「パグからブルーへ――鱗翅類学者としてのナボコフ」が入っております。

ナボコフとチョウ」ということに関しては世界的に見ても、ここでしか読めない水準のものだと思います。

Brian Boyd, Marijeta Bozovic ed., Nabokov Upside Down. Evanston: Northwestern Univ Press. 2017

寄稿した、来年刊行予定の本の書影がamazonに出ていました。

 

こちらはオークランド大学でおこなわれた国際学会をもとにした論集で、ジェネラル・エディターはブライアン・ボイドです。

 

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オークランドの街はよくもわるくも文化的猥雑さがない感じでしたね……

 

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オークランド大学にて。鳥が人をこわがらなかった印象がありますねえ……

 

Northwestern Univ Pressより2017年2月に刊行されます。

 

 

内容紹介

 

"Nabokov Upside Down" brings together essays that explicitly diverge from conventional topics and points of reference when interpreting a writer whose influence on contemporary literature is unrivaled. Scholars from around the world here read Nabokov in terms of bodies rather than minds, belly-laughs rather than erudite wit, servants rather than master-artists, or Asian rather than Western perspectives. The first part of the volume is dedicated to surveys of Nabokov s oeuvre that transform some long-held assumptions concerning the nature of and significance of his work. Often thought of as among the most cerebral of artists, Nabokov comes across in these essays as profoundly aware of the physical world, as evidenced by his masterly representation of physical movement, his bawdy humor, and his attention to gustatory pleasure, among other aspects of his writing. The volume s second half focuses on individual works or phases in Nabokov s career, noting connections among them as well as to other fields of inquiry beyond literature. Engaged in conversation with each other and, in his editorial comments, with Brian Boyd, the essays in this volume show Nabokov scholarship continuing to renew itself."

レビュー

"These essays carry on a highly engaging conversation with one another over the course of the volume . . . polished and clearly reasoned." Leland de la Durantaye, author of "Beckett s Art of Mismaking ""

"Amid the welter of Nabokov publications, there is nothing quite like this volume." Dale E. Peterson, author of "Up From Bondage: The Literatures of Russian and African American Soul "

 

フランコ・モレッティ『遠読――<世界文学システム>への挑戦』みすず書房⑦:訳者あとがきが(ほぼ)読めます

現在、発売中のフランコモレッティ『遠読』ですが、「訳者あとがき」が(ほぼ)読めるようになっています。

 

amazonのサイトからはいって、「なか見!検索!」で読むことができます。

 

 

11000字、15頁の「訳者あとがき」のうち、12頁、8000字ぐらいが読めるようになっています。(本当は全文公開したかったのですが、仕様上難しい??)

 

内容としては

 

一 著者について

 

二 本書の内容について

 

三 「遠読」という概念について

 

四 「世界文学への試論」について

 

五 本書の翻訳について

 

になっています。

 

よろしければご覧ください。

 

以下にいままでの紹介記事をまとめておきました。

「遠読」タグもご利用ください。

 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

yakusunohawatashi.hatenablog.com

yakusunohawatashi.hatenablog.com

yakusunohawatashi.hatenablog.com

yakusunohawatashi.hatenablog.com

yakusunohawatashi.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナボコフの値段④ レア本編②

前回ナボコフのinscribed copyの値段の話――グレアム・グリーンあての『ロリータ』の価格――をしました。

 

ナボコフのinscribed copyの価格を語る上で欠かせないのが、1999年にグレン・ホロヴィッツ・ブックセラーが頒布したカタログ『ヴェラの蝶』です。

 

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1992年、グレン・ホロヴィッツ・ブックセラーが、ナボコフの原稿や書簡をニューヨーク公図書館に150万ドルで売却した話はすでに書きましたが、それで信頼をかちえたのでしょう。ナボコフのひとり息子、ドミトリイ・ナボコフは、父ウラジーミルが母ヴェラに送った献辞付きの本を一斉に売りに出すことにしたのです。

 

(ちなみに母親は1991年にすでに死去していましたが、両親の形見をかんたんに手放すことに抵抗はなかったんでしょうかね。このあたりにドミトリイの性格、ナボコフの遺産の扱い方の方針がみれますが、またいずれ。)

 

このカタログ、ISBNがついていますが、一般に流通したものではないよう。限定2000部が刷られたようです(「限定」、といっても、私がだしたどの本よりも多い刷り部数ですが)。カタログ以外にも、ナボコフ研究の大家が原稿を寄せていたり、ジェイ・グールドが原稿を書いていたり、ここでしか読めない未刊行版『ロリータ』脚本からの抜粋が載っていたりするなど、研究者必見の内容になっています。

 

 (ちなみにグールドのエッセイは↑に収録されました)

 

 さて、「値段」の話です。

 

このカタログでは妻への献辞付きのナボコフの本(一部そうでないのもあり)が135冊、売りに出されています。価格は500ドルから125000ドルまで幅があります。

 

このうち、最高価格の125000ドルの値がつけられたのは、1955年の 『ロリータ』初版の第二刷りで、ナボコフの書きこみがびっしりされたものです。

 

そして、それと並んで125000ドルの値を書店がつけたのが、意外なことに、ナボコフが自分の鱗翅類の論文12本を雑誌から切りとって、自分でまとめたものです。最後に「ヴェラへ」と書かれているそうで、いくつかの論文には、単行本『強硬な意見』収録用に手直ししたあとがあります。

 

これが『ロリータ』初版作者手直し本と同じ価値、というのは驚きですが、世界に一冊しかないという点では妥当なんですかね(ちなみに、この論文も『ナボコフの塊』に入っています)。

 

 

これは1999年の時点でのカタログですが、ほかのカタログとくらべるとまた少し興味深いこともわかってきます。(つづく)

 

『ナボコフの塊ーーエッセイ集1921-1975』作品社⑤:目次解説

今週の火曜日に作品社に出張して念校を4、5時間見てなんとか水曜に戻せるようにしました。その結果?、発売日が7月6日?に決まりました。

 

当初、300頁ぐらいでおさめるように、と言われていたのですが、総ページ数448頁?と大幅に膨れあがってしまいました。今回を逃すと、もうエッセイ集なんて出せないでしょうから、あれもこれもと詰め込み、解題と訳者あとがきと索引を加筆した結果です。まさに「塊」じみてきました。

 

最終的に、目次はこんな感じになりました。

 

ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975』作品社

 

錫でできた星――ロシアへの郷愁
・「ロシアの川」(1924年

・「ケンブリッジ」(1921年)

・「笑いと夢」(1923年)

 

森羅万象は戯れている――遊ぶナボコフ
・「塗られた木」(1923年)

・「ブライテンシュトレーターVSパオリーノ」(1925年)

・「E・A・ズノスコ=ブロフスキー『カパブランカとアリョーヒン』、パリ」(1927年)
・「オペラについて」(1928年)

 

流謫の奇跡と帰還の奇跡を信じて――亡命ロシア文壇の寵児、V・シーリン
・「一般化について」(1926年)

・「ソヴィエト作家たちの窮状について少々、およびその原因を特定する試み」(1926年)

・「美徳の栄え」(1930年)

・「万人が知るべきものとは」(1931年)

 

ロシア文学のヨーロッパ時代の終わり――亡命文学の送り人
・「Ju・I・アイヘンヴァリドを追悼して」(1928年)

・「A・O・フォンダミンスキー夫人を追悼して」(1937年)

・「ホダセーヴィチについて」(1939年)

・「定義」(1940年)

・「I・V・ゲッセンを追悼して」(1943年)

・「『向こう岸』へのまえがき」(1954年)

 

英語の母音はレモン、ロシア語の母音はオレンジ――駆け出し教師時代
・「ロシア語学習について」(1945年)

・「ロシア学のカリキュラムにおける位置」(1948年)

 

張りつめているように見えて、だるだるに弛みきっている――口うるさい書評家
・「イヴァン・ブーニン『選詩集』現代雑記社、パリ」(1929年)

・「『現代雑記』三七号、一九二九年」(1929年)

・「ディアギレフと弟子」(1940年)

・「サルトルの初挑戦」(1949年)

 

文学講義補講 第一部 ロシア文学
・「プーシキン、あるいは真実と真実らしいもの」(1937年)

・「決闘の技法」(1964年)

・「レールモントフ『現代の英雄』訳者まえがき」(1958年)

 

文学講義補講 第二部 劇作・創作講座編
・「劇作」(1941年)

・「悲劇の悲劇」(1941年)

・「霊感」(1972年)

 

家族の休暇をふいにして――蝶を追う人【バタフライハンター】
・「ピレネー東部とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」(1931年)

・「Lycaeides Sublivens Nab. のメス」(1952年)

 

私のもっともすぐれた英語の本――『ロリータ』騒動
・「ロシア語版『ロリータ』へのあとがき」(1965年)

・「『ロリータ』とジロディアス氏」(1967年)

 

摩天楼のように伸びた脚注を――翻訳という闘い
・「翻訳の問題――『オネーギン』を英語に」(1955年)

・「奴隷の道」(1959年)

・「翻案について」(1969年)

 

私が芸術に完全降伏の念を覚えたのは――ナボコフとの夕べ
・「一九四九年五月七日「著者による『詩と解説』の夕べ」のための覚え書き」(1949年)

・「ナボコフ氏受賞スピーチ」(1975年)

 

おまけ
・「ナボコフ風たまご料理」(1972年)

 

以下に若干の解説を。

 

錫でできた星――ロシアへの郷愁
・「ロシアの川」(1924年

・「ケンブリッジ」(1921年)

・「笑いと夢」(1923年)

 

このセクションでは亡命の初期、まだ小説家として本格的にスタートする以前の、ケンブリッジ・ベルリン時代に書かれたものを集めました。

 

森羅万象は戯れている――遊ぶナボコフ
・「塗られた木」(1923年)

・「ブライテンシュトレーターVSパオリーノ」(1925年)

・「E・A・ズノスコ=ブロフスキー『カパブランカとアリョーヒン』、パリ」(1927年)
・「オペラについて」(1928年)

 

ここでは一九二〇年代に書かれた散文のなかから、ボクシングや、チェス、オペラなど「遊び」にかかわるものを集めてみました。亡命者というと悲惨な、暗い生活をイメージしがちですが、ここで描かれているのはどちらかと言えば、ワイマール文化華やかなりしベルリンを闊歩し、最先端の流行を吸収するひとりの若者の姿です。

 

流謫の奇跡と帰還の奇跡を信じて――亡命ロシア文壇の寵児、V・シーリン
・「一般化について」(1926年)

・「ソヴィエト作家たちの窮状について少々、およびその原因を特定する試み」(1926年)

・「美徳の栄え」(1930年)

・「万人が知るべきものとは」(1931年)

 

 このセクションでは、ナボコフがロシア語作家として地歩を固める過程で発表された文章や講演をあつめてみました。一番ナボコフが勢いがあったときです。かなり政治的なものも多いのに驚かれると思います。

 

ロシア文学のヨーロッパ時代の終わり――亡命文学の送り人
・「Ju・I・アイヘンヴァリドを追悼して」(1928年)

・「A・O・フォンダミンスキー夫人を追悼して」(1937年)

・「ホダセーヴィチについて」(1939年)

・「定義」(1940年)

・「I・V・ゲッセンを追悼して」(1943年)

・「『向こう岸』へのまえがき」(1954年)

 

このセクションでは、主に30年代後半に書かれた追悼文を集めてみました。お世話になった亡命知識人、出版人の死は、ナボコフのロシア語時代の終わりがせまっていた事実を示しています。

 

 英語の母音はレモン、ロシア語の母音はオレンジ――駆け出し教師時代
・「ロシア語学習について」(1945年)

・「ロシア学のカリキュラムにおける位置」(1948年)

 

ここでは1940年にアメリカに到着して以降、ロシア語教師としての働きぶりを伝えるエッセイ二本を訳出しました。

 

張りつめているように見えて、だるだるに弛みきっている――口うるさい書評家
・「イヴァン・ブーニン『選詩集』現代雑記社、パリ」(1929年)

・「『現代雑記』三七号、一九二九年」(1929年)

・「ディアギレフと弟子」(1940年)

・「サルトルの初挑戦」(1949年)

 

ナボコフがロシア語時代、英語時代をつうじて書いた書評を集めればそれだけで一冊、本が編めるでしょう。ここでは比較的有名な作者のものや重要なものを集めました。サルトルの『嘔吐』書評は、サルトル自身のナボコフ『絶望』書評への意趣返しだったのでしょうか?

 

文学講義補講 第一部 ロシア文学
・「プーシキン、あるいは真実と真実らしいもの」(1937年)

・「決闘の技法」(1964年)

・「レールモントフ『現代の英雄』訳者まえがき」(1958年)

 

ナボコフがした講演や評論を「文学講義補講」というかたちでまとめました。ここでは『ロシア文学講義』に含まれていないプーシキンレールモントフについてのものを。「プーシキン、あるいは真実と真実らしいもの」は、フランス語で書かれたものです。

 

文学講義補講 第二部 劇作・創作講座編
・「劇作」(1941年)

・「悲劇の悲劇」(1941年)

・「霊感」(1972年)

 

こちらはナボコフの演劇論・創作論を。「霊感」ではナボコフが選ぶアメリカの傑作短編小説が。

 

家族の休暇をふいにして――蝶を追う人【バタフライハンター】
・「ピレネー東部とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」(1931年)

・「Lycaeides Sublivens Nab. のメス」(1952年)

 

ナボコフが鱗翅目(チョウ・ガ)の研究者だったことは最近注目されるようになりました。このセクションでは比較的読みやすい蝶の採集記を二本、訳出してみました。「ピレネー…」のほうは百種類以上(!)の蝶・蛾がでてきます。この翻訳では、なんと荒木崇先生にお願いして、その学名・和名の全対照表をつけていただきました。これはかなりすごいです。

 

私のもっともすぐれた英語の本――『ロリータ』騒動
・「ロシア語版『ロリータ』へのあとがき」(1965年)

・「『ロリータ』とジロディアス氏」(1967年)

 

『ロリータ』のヒットはナボコフの生活を一変させ、最終的にアメリカの大学を離れ、スイスに移住することになりました。ここではその経緯を語った二本のエッセイをおさめました。

 

摩天楼のように伸びた脚注を――翻訳という闘い
・「翻訳の問題――『オネーギン』を英語に」(1955年)

・「奴隷の道」(1959年)

・「翻案について」(1969年)

 

ナボコフの英語エッセイには翻訳の話題が多く出てきますが、ここでは翻訳を主題にあつかったエッセイを三本集めました。「摩天楼のように伸びた脚注を――」は、「翻訳の問題」の最後、

「私はおびただしい脚注を添えた翻訳を、摩天楼の如く頁の最上部にまで達せんと伸びた、注釈と永遠の狭間に原詩のただ一行のみを輝かせている脚注を求めているのだ。」

からとっています。脚注がページの下からせりあがってきて、本文が一行だけになるイメージですね。

 

私が芸術に完全降伏の念を覚えたのは――ナボコフとの夕べ
・「一九四九年五月七日「著者による『詩と解説』の夕べ」のための覚え書き」(1949年)

・「ナボコフ氏受賞スピーチ」(1975年)

 

ナボコフが残した朗読会用メモ、授賞式でのスピーチ原稿から二本、訳出しました。

 

おまけ
・「ナボコフ風たまご料理」(1972年)

 

掲載を拒否されたレシピです。