訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

ナボコフの値段⑤:レア本編③

前回からだいぶあいてしまいました。

さらにつづきです。

 

1999年のホロヴィッツによるカタログによる販売のあと、もっとも大規模な販売が、タヤンがとりしきった、ジュネーヴのホテル・デス・ベルゲスでおこなわれたオークションです。

 

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ここに出展されているのは、前回がヴェラに献じられた自著本だったのに対して、息子ドミトリイに献じられたナボコフの本です。

 

注文方式ではないので、オークショニアが事前につけた仮の金額でしかないですが、

最高落札予想金額が80000~100000ユーロで、『アーダ』、『ロリータ』、『詩とプロブレム』の初版署名本です。

 

 さらに、1999年のカタログ販売と同じ本も出品されています。

これは6年前に売れなかったのかものの公算が強いように感じます。

 

たとえば

 

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 上の絵がついたナボコフの『賜物』英語版初版の署名入り献本は、

1999年のホロヴィッツだと40000ドルですが、2005年のオークションだと25000~30000ユーロになっています。

 

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こちらは『キング、クイーン、ジャック』英訳版の献辞付き初版本ですが、

ホロヴィツのカタログで22500ドル、タハンで25000~30000ユーロですね。

 

ほかにも『カメラ・オブスクーラ』のロシア語版献辞付き初版本が、

ホロヴィッツ(lot29)だと35000ドル、タハン(lot34)だと25000~30000ユーロ。

 

ホロヴィッツのカタログの商品はけっこう売れ残った?のと、

この時点ではあまり価格の変動はなさそうなのがわかります。

 

一番気になる出品は44番の1959年の河出書房刊の日本語版『ロリータ』初版にナボコフが蝶の絵とサインをしたもの。これは東郷青児が装画を描いた二巻本で、ナボコフと青児のコラボになっています。蝶も日本の種のようです。

 

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さらに続きます・・・

チャールズ・M・シュルツ、谷川俊太郎、今井亮一、井出幸亮『スヌーピーのひみつ A to Z』新潮社

今井亮一さんから訳書をご恵投いただきました。

 

スヌーピーのひみつ A to Z』――書名どおり、スヌーピーにまつわるすべてを

AからZまで項目別に編集したものになっています。

 

 

漫画だけでなく、写真・図版多数の楽しい本です。

 

今井さん、どうもありがとうございました。

沼野充義編、高橋知之編集協力『ドストエフスキー ポケットマスターピース10』集英社文庫ヘリテージシリーズ

高橋知之さんから共訳書をいただきました。

 

沼野充義編、高橋知之編集協力『ドストエフスキー ポケットマスターピース10』集英社文庫ヘリテージシリーズ

 

 

「四大長編の読みどころ」から、詳細な解題や文献一覧、年譜までついていますので、

 初心者から専門家までじっくり楽しめる内容だと思います。

 

高橋さん、どうもありがとうございました。

フランコ・モレッティ『遠読――<世界文学システム>への挑戦』みすず書房⑧:書評まとめ

ありがたいことに、モレッティ『遠読』の書評をいくつかいただいております。

 

ほかにも発見次第、このエントリに随時追加していきます。

 

 

7月10日 円城塔さん書評(『朝日新聞』)

 モレッティは本書を、文学の変化とは隣の地域へと新たな形式が広がっていく「進化的」な過程であるとする論文ではじめる。九〇年代から二〇一〇年 代に発表した論文計十編が収録されており、統計的な処理を通して文学を考えるという一つのジャンルの立ち上げを見ることができる。[中略〕科学の言葉であらゆることを押しきるのは横暴だが、便利な道具の利用を禁じるのは馬鹿げたことだ。

 

www.asahi.com

7月17日 鴻巣友季子さん書評(『毎日新聞』)

 

本書を深く理解し読者に伝えながら、同時に鋭い批判も放っている訳注やあとがきも示唆に富む。翻訳はつねに批評だと思い知る。

 

http://mainichi.jp/articles/20160717/ddm/015/070/004000c

 

(なぜか埋め込みできず)

 

 

8月6日 武田将明先生書評(『新潮』2016年9月号、260―261頁)

 

モレッティほどの研究者が、あえてこのような研究に挑戦していることの意義を過小評価してはならない。デジタル時代に批評を志す者ならば、一度は手に取らないといけない書物である。

 

www.shinchosha.co.jp

 

8月7日 牧原出先生書評(『読売新聞』)

 

著者の意図はこうだ。ごく少数の「名作」にのみ焦点を当てた「精読」による解釈には偏向が紛れているのではないか。読まれざる作品が仮に凡作だとしても、それを含めて世界文学の「一般的」な構造とは何か、それはどう進化して現在に至ったのか明らかにすべきではないか。

www.yomiuri.co.jp

 

9月20日 山形浩生さん書評

たとえば、本の題名の長さとその中身はどう関係しているのか? 登場人物のネットワーク分析をすると何が見えてくるのか?などなど。そして、多少こじつけめいた部分もあるけれど、以外におもしろい結果が出てくる部分もある。

方向性はおもしろい。あまりに細部にこだわったり、ウェットな情感に耽溺したりしない、ドライな「読み」の可能性が出ている。

 

cakes.mu

 

12月 戸塚学先生評

 

「世界文学」という問いの発見――F・モレッティ著『遠読 <世界文学>システムへの挑戦』(『世界文学』124号、112-114頁。)

 

「近代ヨーロッパ文学--その地理的素描」は、「遠読」概念着想の契機となった論文である。[中略]モレッティはヨーロッパ文学を複数的・流動的な「分裂したヨーロッパ文学」と捉え、その分裂の過程を文学が成長する生態系として捉えるのである。[中略]一見大胆に見える断言や解釈の背後に分析の蓄積が垣間見えるこの論考が個人的には面白かった。

 

モレッティはしばしば文学作品と社会事象との間の関係性をアナロジーで読み解くが[中略]、こうしたアナロジーは実はアウエルバッハやシュッピツァーらの文体論や構造主義批評の形式分析の延長線上にあり、必ずしも新たな方法の提示にはなっていないように思われる。

 

2017年4月『れにくさ』142―146頁 片山耕二郎さん評

 

ただそうした未来への時計[=遠読]をみずから一分進めるより、今までどおり好きな本を精読することを大抵の人間は選ぶと思うのである。とりわけ文学研究を志すほどの読書好きならば。この点でモレッティは小説の登場人物のように勇敢で、見方によってはヒーローでもあり、しかし悪役でもある。このように『遠読』という本は、そうした主人公の挑戦と成長が描かれたノンフィクションとして読んだとき、もっとも価値があるように思われる。

 

その意味で、このエッセイ[「小説――理論と歴史」]は大変魅力的な失敗作である。それは魅力的な成功作よりもときに価値がある――なぜなら、成功作は発表されるが、失敗作はしばしば、どれだけ興味深い内容を含んでいてもタンスの奥にしまわれてしまうからである。自覚と誇りを持って失敗に跳び込む彼の作法こそが斬新であり、このエッセイを魅力的にしている。

 

比較文学』60巻、2017年、156-160頁 ソーントン不破直子先生評

 

四人の共訳とはいえ、大きな仕事である。訳文の正確さとともに、モレッティの文体の歯切れよさをよく伝えている。また多くの訳注をつけ、邦訳書がある場合はそれを示しているのも親切だ。

 

比較して読んでみるのも一興かと思います。

 

 

 

 

『ナボコフの塊ーーエッセイ集1921-1975』作品社⑧:正誤表

ナボコフの塊――エッセイ集1921―1975』のほうも、正誤表をあげておきます。
 
(まちがいが見つかり次第、順次更新します。)
  
目次、250頁、401頁 「ピレネー東部とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」→「東ピレネー県とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」
 
401頁 誤「自らが新種を認定した蝶」→正「自らが新亜種として認定した蝶」
 
401頁 誤「なお、この蝶は、現在はNab(ナボコフ)ではなく、〔中略〕と呼ばれている。」→正「現在は、ナボコフがはじめ命名した Lycaeides argyrognomon sublivens ではなく、〔中略〕と呼ばれている。独立種として、Plebejus (Lycaeides) sublivens とされることもある。」
 
402頁 誤 "The Female of Lycaeides Argyrognomon Sublivens"→正 "The Female of Lycaeides argyrognomon sublivens"
 
416頁 誤 『ヴェラとの書簡集』(妻との往復書簡集)→正『ヴェラへの手紙』(妻あての書簡集)
 

 

 

野中進・籾内裕子・沼野恭子編『世界のなかの日本文学―ー旧ソ連諸国の文学教育から』

野中進先生より、編著をご恵贈いただきました。どうもありがとうございました。

 

野中進・籾内裕子・沼野恭子編『世界のなかの日本文学――旧ソ連諸国の文学教育から』(埼玉大学教養学部 リベラルアーツ叢書8)埼玉大学教養学部・人文社会科学研究科、2016年

 

旧ソ連の諸国出身の研究者と日本人研究の共同研究で、非常に貴重な資料ですね。少なくとも日本語でまとまったものはでていないので、今後、同テーマについては、この本から研究をはじめることになるのではないかと思います。

 

(エッセイ)「どっちが勝つ?」

エッセイを寄稿しました。

 

「どっちが勝つ?」『文學界』2016年8月号、268-269頁。

 

 

とくにナボコフも世界文学も関係ない、普通のエッセイです。

「エセー(随想録)」のコーナーですが、とくに高尚な思想はなく、字義通りのエッセイですね……。

 

訳書二冊刊行のあいだにいただいた依頼ですが、逆に気分転換になり、かえってよかったかと思います。最近は文芸誌にお呼びがかかることもめったになかったので、うれしかったですね。

 

www.bunshun.co.jp

文學界』2016年8月号は本日(7月7日)発売です。特集は夏らしく異色短篇特集「怪」になっております。関心のある方はお手にとってお読みください。