『週刊読書人』2017年12月9日号に、
新潮社「ナボコフ・コレクション」について書きました。
下記のリンクから全文を読むことができますので、ぜひお読みください。
1月13日に「文学とコンピュータが出会うとき――遠読、量的分析、デジタルヒューマニティーズ」という題の講演がおこなわれます(詳細ポスター)。ふるってご参加ください。
コンピュータによる創作が注目される昨今ですが、小説を読む道具
としてもコンピュータは使われています。講演ではコンピュータに よる創作、精読に対しての遠読という概念、文学の量的分析や、北 米でのデジタルヒューマニティーズについて例をあげてご紹介しま す。
アーカイヴ紀行の9回目です。
今回は東海岸から大きく飛びまして、テキサス大学オースティンのハリーランサムセンターをご紹介します。
オースティンはテキサスの州都、テキサス大学オースティン校は名門として知られます。
おなじみの州議事堂。
広いキャンパスですが、この近くで70年前に乱射事件があったんですよね。
そのアーカイヴであるハリーランサムセンターは、アメリカでも有数の近現代の作家のコレクションを持っています。特に国内外問わず20世紀の作家に非常に強い印象。
<関連>
米・ハリーランサムセンター、ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスのアーカイブをデジタル化 | カレントアウェアネス・ポータル
米・テキサス大学ハリーランサムセンターが所蔵するノーベル賞作家カズオ・イシグロ氏のアーカイブ(記事紹介) | カレントアウェアネス・ポータル
ハリーランサムセンターの外観はこんな感じです。
閲覧室はこんな感じ。
センターでは幅広く作家関連資料を収集しています。
たとえば、ジョン・ファウルズが生前使っていた机が飾られていました。
ナボコフがアメリカではじめて会った編集者のひとり、 『アトランティック・マンスリー』のエドワード・ウィークスとの書簡もあります。
のちにウィークスは著書にナボコフの印象を書きとめました。
ほかにもクノップフ、ダブルデイなど出版社とのやりとりが多く収蔵されています。そのため、書簡だけでなく、『プニン』や『透明な対象』のゲラ刷り、元原稿(『マイ・ディア・プニン』という題のもの)も見ることができます。伝説的な編集者(まだ存命ですが)ジェイソン・エプスタインとの書簡の一部もここに収められています。
そうかと思えば、1930年代のロシア語書簡や、いとこの作曲家ニコラス・ナボコフとの書簡の一部も収められています。
オースティンは観光地ではないですが、大学の美術館は圧巻ですし、少し町はずれに行くと、O・ヘンリーが住んでいた家なんかもありました。
なお、センターの一階には展示スペースがありますが、訪問した時には『風と共に去りぬ』展が開催されていました。
オースティンは治安は普通そうでしたが、街が結構だだっぴろく、
移動が面倒なので、多少高くついても大学近くに宿をとったほうがよいです。
この手の調査は長距離移動、時差ボケ、食事事情などに苦しめられることが多いので、
ストレスは極力避けたいところです。
これはアーカイヴ調査の鉄則のひとつでもありますが……
(AT&Tホテルはセンター至近で、米国で滞在したホテルの中でも最高に近かった。)
資料の充実度 ★★★★
使いやすさ ★★★★★
お得度 ★★★★★
ナボコフ関連の資料が所蔵されているのは、図書館ばかりとは限りません。
ひとつが、博物館です。
ニューヨークのアメリカ自然史博物館は、ナボコフが調査研究をおこなっていたこともあり、研究員とナボコフとの書簡がのこされています。
yakusunohawatashi.hatenablog.com
事前にアポイントを取ったうえで、この77番街側の関係者入口から入ります。
そのうえで、エレベータで四階の資料室に進みます。
(ちなみに、館内の展示も途中で無料で見れちゃうことになります。少し得した気分)
Cyril F. dos Passos papers, 1932-1978
ここのカタログはきわめて使いづらいので、なにがあるのか聞いてみた方がいいです。
このほかにNabokov correspondence folderが保管されており、数名の鱗翅学者とのやりとりを閲覧できます。
ここも撮影可能ですので、カメラ必携です。
資料の充実度 ★★
使いやすさ ★★★
お得度 ★★★★★
アーカイヴ紀行の七回目はアマースト大学のロシア文化センターです。
新島襄も留学したアマースト大学(アーマストとかいろいろ表記ありますが、どうでもいい…)は、ボストンと同じマサチューセッツ州にあります。ボストンから西に100キロほど内陸にいった場所ですね。
バスや車で向かいましょう。
内陸なので当然寒いわけです。
キャンパスは「カレッジ」なのでこじんまりしています。
アメリカのカレッジに行くと驚くのが、教員と学生の距離が近いこと。
少人数教育のおかげなんでしょうね。
さて、ここにはロシア文化センターがあります。
Russian | Amherst Center for Russian Culture | Amherst College
中はこんな感じ。サモワールのコレクションがすごい。
レーミゾフなど、亡命文学についての資料も多いです。
ナボコフ関係だと次の二つでしょうか。
Cataloged Archives | Shakhovskoy Family Papers | Amherst College
Cataloged Archives | Yurii [George] P. Ivask Papers | Amherst College
シャホフスカヤの文書は著書『ナボコフを探して』を書く際に使った(使わなかった)資料を見ることができます。
イヴァスクはロシア語雑誌の編集者として交友があった人物です。
どちらの人物も、資料がおさめられているのはここだけではないです。たとえばシャホフスカヤとナボコフのメインのやりとりは議会図書館のほうにはいっていて、ここではナボコフ本人というよりも関係者とのやりとりが収蔵されている印象です。イヴァスクもイェールの方が多く書簡を収蔵しています。とはいえ、ここでしか見れないものもあります。
ここは要予約です。資料も書庫から出してくる時間がかかるため、事前に申請しておく必要があります。
アマーストはエミリー・ディッキンソンのゆかりの地でもあります。
こじんまりした典型的な大学街で、滞在すると非常に落ち着くのでした。
街で数少ないホテル。よい雰囲気です。
資料の充実度 ★★
使いやすさ ★★★
アットホーム度 ★★★★★
本日発売の『すばる』12月号に、ナボコフ「ヴェラへの手紙」を訳出しております。
ウラジーミル・ナボコフ「ヴェラへの手紙」『すばる』2017年12月号、224―244頁。
『ヴェラへの手紙』は2014年に刊行されたナボコフが妻ヴェラにあてた書簡集です。
原書は800頁!を超える大冊ですが、今回は『すばる』掲載にあたって9通の手紙をセレクトしました。訳出したのは以下の9通です。
・1923年11月8日
・1924年1月17日
・1926年6月7日
・1926年6月8日
・1926年6月13日
・1926年6月15日
・1926年6月16日
・1926年7月6日
・1926年7月12日
内容を一部チラ見せ。なお、訳出にあたっては原典のロシア語版を使用しております。
ぼくの幸福、ぼくの黄金、信じがたい幸福よ! ぼくが全部きみのものだということを――ぼくの記憶、詩、高揚、心の中に湧きあがるつむじ風もみな――どう説明したらいいのだろう? きみがその言葉をどう発音するか聞かずには一語も書くことができないし、今まで生きてきた中で経験したものごとのどんな細部も――ぼくたちが分かち合わなかったものであれば――(こんなにも強い!)切なさを覚えずには思い出せないことをどう説明しようか? きみと分かち合わなかったものたちは、どうにも個人的で、いわく言い難いものと化してしまい、たんに道の曲がり角で見た日没だかなんだかも、そうではないもののようになってしまうんだ。ぼくの幸福よ、わかってもらえるだろうか?
――1923年11月8日
ベルリンを夢みるなんて思いもしなかった――そう、地上の楽園みたいに(天空の楽園なんてたぶん退屈さ――熾天使【セラフィム】の羽がわんさか舞っていて、禁煙だってさ。でもときどき、天使たち自身が袖に隠して煙草を吸う――大天使がとおると煙草を投げすてる。それが流れ星なんだ)。月に一度ぐらい、お茶を飲みにおいでよ。いつかぼくの稼ぎが尽きたら、きみと一緒にアメリカに出稼ぎにいこう……。
――1924年1月17日
夕食まで新聞を読み(ママから手紙をもらった。暮らし向きは厳しいが、大丈夫なようだ)、それから肉の切れ端をそえたジャガイモとスイスチーズをたっぷり食べた。九時ごろきみへの手紙を書いた――それからメモ帳に手を伸ばしたときにふと、不在中に手紙がきていたことに気づいた――どういうわけか気づかなかったんだ。愛しいきみよ。なんておサルさんな手紙なんだい……。
――1926年6月7日
九通と言えども、解説合わせ原稿用紙換算で60枚近くもページをいただいております。
なお、この『ヴェラへの手紙』は今のところ邦訳出版される予定がありませんので、こちら『すばる』掲載版が最初で最後の翻訳の可能性もあります。
そういった意味でも貴重ですので、入手不能になる前にぜひご覧ください。