アメリカ
久々のシリーズ更新になります。今回はホテル・チェルシーです。 住所は222 W 23rd Stです。 アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を書くなど、 文学者が多く滞在したホテル。 訪れたときには回送中で中には入れませんでしたが、入り口には滞在した文…
前々回、朗読会の場所について紹介したので、いくつかニューヨークでおこなわれたほかの朗読会の場所を紹介しましょう。 はじめに、記録にあるアメリカ最初の朗読会の話です。 1940年5月にニューヨークに到着したナボコフは、その年にいくつかニューヨークで…
アーカイヴ紀行の10回目です。 今回紹介するのは、南部より一転、プリンストン大学です。 ニューヨークから電車で南にいったプリンストンに位置する大学です。 メトロポリスの喧騒を離れ、町は静かで、キャンパスはすばらしく英国風です。 こんなところで勉…
新しくわかったNYCでの滞在先を記しておきます。 亡命ロシア人で、編集者・ビジネスマンのロマン・グリンベルグのアパートにたびたび滞在していたようです。名前からしてユダヤ系でしょうね。 ロマン・グリンベルグ(1893-1970)がナボコフと知り合った…
3年ぶりぐらいのシリーズです。 1940年代、ケンブリッジ・ボストン近郊に住んで、蝶についての調査をMCZで始めていたころのナボコフが、たびたび訪問したのがニューヨークのAmerican Museum of Natural History(アメリカ自然史博物館)です。 77番街―81…
アメリカでのナボコフの住居・滞在先をまとめてみました。 といってもニューヨーク・ケンブリッジ周辺・イサカだけですが、 これで旅行先以外はカバーできます。 住居・滞在先時系列順+主な作品(出版年)1940-1964 1940年5月26日 ニューヨーク着 1940年5月…
まだ移動の途中で立ち寄ったり、詳細不明な滞在先をふくめればNYCに宿泊したこともたびたびあるかと思いますが、とりあえずまとめます。 ①32 East 61st Street ②1326 Madison Avenue ③35 West 87th Street ④304 West 75 Street ⑤Hotel Windermere, 666 We…
1964年3月にナボコフはやっと出版にこぎつけた『エヴゲーニイ・オネーギン』訳注の プロモーションのためにニューヨークを訪れました。 Late in 1963, Nabokov had agreed to come to New York for the launching of Eugene Onegin. He and Vera set off fro…
1962年6月にナボコフはふたたびニューヨークを訪れました。 Nabokov disembarked on June 5 and stayed at the St. Regis Hotel on Fifth Avenue for two "very busy, very amusing, very tiring" weeks in New York, starting with a solid bank of intervi…
1960年、ナボコフは再度アメリカに戻って来ました。スタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』の脚本を書き下ろすためです。 西海岸で脚本を執筆した後、NYCにやってきたさいに宿泊したのがHotel Hampshire Houseの503号室でした。 ここは本当にセン…
その後、カリフォルニアに行ったあと、秋になってまたNYに戻ってきたナボコフ夫妻が投宿したホテルが、 Park Crescent Hotelでした。 They reached New York at the begging of September, and stopped at Manhattan's park Crescent Hotel, at 87th Stree…
ナボコフがつぎにNYCを訪れたのは(?)、『ロリータ』がヒットしてコーネル大学をやめた直後、 1959年のあたまのことでした。 Reaching Manhattan the next day, they moved into a pleasant apartment in the Windermere Hotel. Over the next six week…
どんどん続きます。 After a week back at 1326 Madison Avenue, the Nabokovs moved in mid-September into a brownstone at 35 West 87th Street, "a dreadful little flat," small and uncomfortable but cheap and close to Central Park. AY17 ここが現…
32 East 61st Streetのアパートに住んでいたナボコフ一家ですが、6月10日から1326 Madison Avenueに安価なサブレットを発見して移りました。 このアパートの持ち主のLehovich夫人のおばのPanin伯爵夫人は、偶然にも1917年にクリミアでナボコフ一家に避難先を…
さて、1940年5月26日にアメリカについたナボコフは、ナボコフのいとこにして作曲家(1933年から米国に滞在していました)ニコライ・ナボコフ(1903-1978)の前妻のナタリヤ・ナボコフのアパートメントに滞在しました。 They had take a taxi [. . . ] to Natal…
1940年春、ナボコフ一家は戦火につつまれたヨーロッパを去り、サン=ナゼールから客船「シャンプラン」号に乗ってニューヨーク入りしました。 ナボコフがアメリカについたのは長らく1940年5月28日とされていました。 これはナボコフの伝記の定番とされている…
Nabokov@Ithacaも終わりなので、Indexを作ってみました。 ①957 East State Street ②802 East Seneca Street ③623 Highland Road ④106 Hampton Road ⑤101 Irving Place ⑥700 Stewart Avenue ⑦808 Hanshaw Road ⑧425 Hanshaw Road ⑨880 Highland Road ⑩404 Hig…
前回まででイサカのナボコフの住居は終わりなんですが、 最後にコーネル大学でナボコフのオフィスがあったゴールドウィン・スミス・ホールの写真をば。前に紹介した図書館から徒歩3分ほどの場所にあります。278 Goldwin Smith Hall, Cornell University, Ith…
1958年2月、ナボコフ一家はまた引っ越しをしました。 また別の教授の家をサブレットしたようです。 ここがイサカでナボコフが借りた最後の家になりました。 1959年にはナボコフは『ロリータ』のブレイクによって教職から解放され、 ヨーロッパに去っていきま…
1957年2月、ナボコフ一家はまた別の家にひっこしました。 今度は平屋建ての家です。 『青白い炎』の舞台のモデルになった家らしいですが、ナボコフ一家のお気に入りだったようです。。青白い炎 (ちくま文庫)作者: ウラジーミルナボコフ,Vladimir Vladimirovi…
その後、1956年からの半年間、ハンショーロード425番地のべつの教授宅を借りました。 平坦な道なら徒歩15分の距離なのですが、 ダウンタウンから歩いて30分、川を渡って、坂をのぼって やっと原稿などをおさめるCarl A. Kroch Libraryがはいっているオーリン…
1955年の7月中旬にナボコフ一家はまた別の教授の家にサブレットで引っ越しました。 ここにも1年ほど住むことになりました。 イサカにあるケイユーガ(カユガ)湖です。 フィンガーレイクスのなかでももっとも細長い湖です。 湖畔の公園は、人々の憩いの場に…
2013年9月6日発売の『早稲田文学』6号に寄稿しました。 「「レキシントンの幽霊」異聞」、『早稲田文学』6号、467-477頁。 早稲田文学6 通常版作者: 青沼静哉,仙田学,間宮緑,多和田葉子,オルガ・トカルチュク,ニコール・クラウス,ドン・デリーロ,千野帽子,朝…
1954年9月1日からナボコフ一家が住むことになったのは、 「キャンパスはずれのスチュワートストリート700番地にあるベルエア・アパート30号室」でした。 イサカ時代には珍しく、アパートメントスタイルの住居です。 玄関の中。 イサカの街は峡谷に位置し、丘…
1954年の2月からはまた別の教授の家を借りて移りました。 空港からイサカのダウンタウンまでは車で30分ほど。 イサカはそもそもホテルが少なく、 町はずれのモーテルに泊まったんですが、これが実はのちのち大変なことに。 ホテルのそばで会ったネコ。
1952年の新学期から、また引っ越します。 今度は北へ数百メートルいったところに小さな家を借りました。 小さいといっても日本の感覚からするとだいぶ大きいですが。 おしゃれな家でした。 たんたんと家だけ書いていってもつまらないので、 イサカの街につい…
1951年の新学期から、また新しいうちに移動します。 今度はキャンパスの北のHighland Roadで、このあたりは閑静な住宅街という感じでした。 環境が気に入ったのか、この辺りには以後も何度も住むことになりました。 この辺は静かですが、不便なところで、も…
ナボコフは前回のうちには1か月しか住みませんでした。 すぐに802 East Seneca Streetの家に引っ越ししています。 この家にはイサカの10軒のうちのなかではもっとも長く住み(約2年)、 アメリカで2番目に長く滞在した場所になりました(一番は8 Craigie Cir…
1948年の7月にケンブリッジから移ってきたナボコフがとりあえず借りたのが 957 East State Streetの家でした。 このイサカ時代、ナボコフは基本的に自分の家を持たず、 サバティカル(研究休暇)で留守になった家を借りていました。 本格的に家を持たなかっ…
以前、"Nabokov@Cambridge"で、ボストン・ケンブリッジ(ウェルズリー)時代、 作家ウラジーミル・ナボコフの住んでいた家・ゆかりの場所の「ツアー」をしました。 そこのIntroductionでも書いたのですが、 ナボコフのアメリカ時代には続きがあるわけです。 …