もう三月になってしまいました。二月は短い……。
前々回のエントリでは共訳者について触れましたが、
作者=訳者が自己翻訳研究の一番のソースであることはまちがいありません。
自己翻訳研究はどうしても作者=訳者という存在に束縛される面があります
(このことへの極端な反論として、ブライアン・フィッチのように作者と訳者が同一だというのはわれわれの思い込みに過ぎない、というものもあるでしょうが…)。
たとえば多和田葉子もインタヴューなどで自己翻訳について語っています。
柄谷 自分でドイツ語を日本語にするとか、日本語をドイツ語にするということはできないですか? やる気が起こらない?
多和田 なかなかできないですね。最初からドイツ語で書くと、書き方が全然違っちゃうから。日本語でアイデアだけをメモして、それをドイツ語で書くことはできるけれども、日本語でテキストができてしまったらば、それを自分でドイツ語に練り直すのは無理ですね。
1996年のこの時点では、日独のバイリンガル作家である多和田は明確に自己翻訳の可能性を否定しています。しかし、2002年の松永美穂の論文でも触れられているように、多和田はこのあと自分の作品を自分で翻訳するようになっていくようです*2。
いったい多和田にどのような心境の変化があったのでしょうか。
より最近では中国語訳された自分の作品の漢字にインスピレーションを受けて、
冒頭を<日本語訳>したりもしているようです*3。
村上春樹もアルフレッド・バーンバウム訳の「レーダーホーゼン」をさらに自分で邦訳したりもしていますが*4、こうした自己翻訳と重訳の組み合わせもひとつの文学的な試みとして行われていくことになるのかもしれません。