土曜日はあやうく新宿の路上の露と散るところでした。。。
『ナボコフ 訳すのは「私」−−自己翻訳がひらくテクスト』が出たのはいいのですが、内容説明だけではいまいちわからない、ということがあると思います。
そこで試し読みではないですが、著者の関連論文を紹介しておきます。
「世界は注釈でできている――ナボコフ『エヴゲーニイ・オネーギン』注釈と騙られた記憶――」『スラヴ研究』No.55(2008)
こちらから読むことができます(PDFファイルが開きます)。
自己翻訳論、というよりは注釈論になっているので、『訳すのは「私」』には収録しなかった論文ですが、似たようなアプローチで書かれた論文です(特に第六章)。
だいたいこんな感じなのか〜、と思っていただけると。
ちなみに、もともと某文芸誌の評論部門の新人賞に投稿して没になった(最終候補作品どまり)文章を書きなおしたものなので、論文とはいえ、比較的読みやすい内容だと思うのですがどうでしょうか*1。
その時とタイトルはつけかえていますが、舞城王太郎ネタですね(さすがに「。」はつけられなかったのですが)。