もう結構前になってしまうのですが、山形浩生氏による書評が出ていました(ナボコフ『ローラのオリジナル』と合わせてのもの)。
山形氏とはまったく面識がない&「文学関係者」でもないにもかかわらず、評を書いていただけたということは(書評は本来そうあるべきですが…)、ありがたいことでした。
(ただでさえ博士論文の書籍化&大学出版会というところで敬遠されがちなところ、ひとりでもそういう方に読んでいただきけるような本を作りたいな、と話していたので)
実は、いくつかの部分で山形氏も『訳すのは「私」』の仮想読者のひとりではあったのです。それは(大幅にはしょって言うと)ナボコフ作品における読者の問題なのですが、この点について本書で十分に答えている(答えようとはしているが)とは言い難いという批判はあるでしょう。
しかしその問題に答えが出ることはあるのかな?
その点では「微光」という評価は妥当or過分かもしれないと思った次第。