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訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

コシンスキの場合

『ペインテッド・バード』で有名なイェジー・コシンスキ(1933〜1991)は、晩年スキャンダルに見舞われた作家でもあります。

そのスキャンダルの内容とは「コシンスキの書いたものはみな、もともとはポーランド語で書かれたもので、秘密裏に訳者を雇って英訳させていた」というものでした。

作家の死後出版されたJames Park Sloanの伝記はこの噂に踏み込んだもので、その翻訳作業を取材にもとづいて検証しようとしています。

『ペインテッド・バード』は、広告の応募に応じた4人の訳者がつかわれたようです。ただし彼らの証言には食い違うところがあり、その作業の全容を解明することは今となっては難しいでしょう。

これは前にも少し述べたことがあるのですが、コシンスキが翻訳作業を監督していたことは間違いないのですから、これも一種の「自己翻訳」の産物と言えないでしょうか?

また、『ペインテッド・バード』が一読して(忘れたくても)忘れがたい印象を(多くの読者に)与えたのは事実です。そうなると、「オリジナル」とはなんなのか、あるいはそもそも「オリジナルを探求することに意義があるのか」という疑問もわいてきますね。

伝記作者であるSloanもそのことに意識的で、次のように書いています。

Whether that style was Kosinski's, and Kosinski's alone, is another question, and no means as simple a question as it may appear. It is possible that Kosinski delivered substantial chunks of Polish text both Reavey and Lutoslawski, using their translations for purposes of comparison. Perhaps he looked to their translations for alternative wordings, or, the other way around, as a working text, from which he himself began. There can never be the certainty of examining the original working text, which could put to rest all questions.

p. 201.

この著者はほかの箇所でも、

・多くの作家がheavy editingを受けており(たとえばトマス・ウルフ)、そのケースとなにがちがうのか?

・われわれがドストエフスキーカミュを読むとき、翻訳にもかかわらず作家独特の「文体」を強く意識しますが、それってなんなのか(作者のものなのか、翻訳者のものなのか)?

などいろいろおもしろい論点を出してきます。

もしポーランド語の「オリジナル」が残っていれば、比較検証するのは興味深い研究になったことでしょうね。作家が自ら命を絶ってしまったいまとなっては真相は(オリジナルとともに)闇の中、ですが。

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

Jerzy Kosinski: A Biography

Jerzy Kosinski: A Biography


ちなみに、若き日のポール・オースターはコシンスキの作品の英語版の制作に携わっていたことがあるようです。

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)


エッセイ「その日暮らし」によれば、パリからNYに帰ってきた27歳のころ、金に困ってやったバイトのなかのひとつだったそうです。

近年コジンスキーについてはあれこれと論争が起きているし、その多くの部分が、私もかかわった作品(『コックピット』)に端を発しているとなると、私も一言証言しておくべきだと思うのである。アーサーが説明してくれたところでは、仕事は単に、原稿に目を通して英語がきちんとなっているか確かめる、というものだった。英語はコジンスキーの母語ではないのだから、出版社に渡す前に誰かに文章のチェックを依頼するというのはごく自然な話に思えた。私が知らなかったのは、私よりも前に、何人かがすでに原稿に手を入れていたという点である。証言によって人数は異なり、どうやら三人か四人が絡んでいたらしいが、そのことをコジンスキーは私に一言も言わなかった。私が見た段階でも原稿には依然問題があったが、それは英語が不自然だったからではなかった。欠陥はもっと根本的なところにあった。物語がどう語られているかではなく、作品の根幹自体に。私はそこここのセンテンスに手を加え、あちこちの単語を取り替えたが、原稿が私に渡された時点で作品は本質的にはもう出来上がってしっまっていた。本来なら、仕事は一日か二日で済んだことだろう。ところがコジンスキーが、原稿を自宅の外に持ち出すことを許さなかったため、私は西五十七丁目にある彼のアパートメントまで行かねばならなかったし、行ったら行ったでしじゅう彼にまとわりつかれ、二十分かそこらごとに物語やらエピソードやら落着かぬお喋りやらを聞かされたものだから、結局七日もかかってしまった。

205−206頁


オースターによるコシンスキ評はなかなか含蓄があるのでこれも引用しておきます。

とにかくこの男は、実に抜け目ない、自分という人間も自分が他人に与える印象もきっちり把握している人物に思えた。それらの話が相手に生じさせるとまどいを楽しんでいなかったはずはない。何しろ、一連の話に共通するテーマ自体、欺くこと、人をからかうことなのだ。[中略]私にはっきりわかるのは、コジンスキーという男が、迷路のような複雑さを持つ人間だったということだけである。

207−208頁