訳すのは「私」ブログ

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Nabokov@Cambridge0: Introduction

ウラジーミル・ナボコフの生涯はおおまかに

・ロシア時代(1899-1919)


・イギリス・ドイツ・フランス時代(1919-1941)


・アメリカ時代(1941-1960)


・スイス時代(1960-1977)


の四つにわけられることが知られています。
それぞれの時期がほぼ均等、だいたい20年サイクルで文化圏をまたぐ大きな移動があったわけです。


この3番目の20年にわたる「アメリカ時代」ですが、前半と後半にふたつにわけられます。

・前期(1941-1948):ボストン近郊、勤務先のウェルズリー大学やハーヴァード大学比較動物学博物館のそばに住んでいた時期


・後期(1948-1959):勤務先のコーネル大学のあるイサカに住んでいた時期

仮に前期を「ケンブリッジ・ウェルズリー時代」、後期を「イサカ時代」としておきましょう。
(この「ケンブリッジ」はハーヴァード大学、MITなどがあるケンブリッジ市のことです。ボストンとはチャールズ川を挟んでさし向いの位置にあります。イギリスのケンブリッジではありません[ナボコフケンブリッジ大学を出たのでややこしいですが]、念のため)


ちなみにナボコフは大陸をまたぐ大きな移動もしましたが、移住先でも細かく住居を変えるタイプのひとでもありました。
たとえばアメリカ時代の後半にあたるイサカ時代にも、住居を次々に変え、10軒の家に住むことになりました(ただし、晩年モントルー・パラスに移ってからはさすがに落ち着くんですが)。


彼はケンブリッジで短期滞在のホテルも含めて5〜6か所の住所に住んでいます(ウェルズリーでは3か所ほどの住所に下宿ふくめて住んでいます)。
その一方で、意外なことにマサチューセッツ州の州都であるというだけでなく、ニューイングランド地方の中核都市であるボストン市自体にはナボコフは居を構えたことはありません(ホテルなどの短期滞在ならある)。


当然ながら、ハーヴァード周辺は知識人層が集まる場所でもあります。この時代、アメリカに来てまもないナボコフはさまざまな作家、学者と交流(あるいは敵対、あるいはすれ違い)しました。


彼はハーヴァード大学で語学や文学の職を見つけることはできなかったのですが、ハーヴァードの比較動物学博物館でボランティアとして蝶の標本を分類する仕事を引き受け、腕と知識を見込まれてそのまま非常勤職員になりました。


ナボコフコーネル大学でテニュアを得てからも、客員研究員として研究調査におとずれたり、ほかの先生の代わりに短期で授業を持ったりといった理由でたびたびハーヴァード周辺に滞在しています。ケンブリッジの研究環境や居住環境がある程度気に入っていたのでしょう。また、当時ハーヴァードの学生だった一人息子ドミトリイ(1934−2012)が心配だったこともあるようです。


今回、客員研究員としてハーヴァードにしばらく滞在するにあたり、前期のケンブリッジ時代を中心にナボコフの旧居跡やゆかりの場所をめぐってみることにしました。


なお、住所などについては定番のブライアン・ボイドのVladimir Nabokov: The American Years (1991)のほか、Dieter ZimmerのHPのコーナー、Nabokov's Whereabouts、それにStacy SchiffのVera (Mrs. Vladimir Nabokov)(1999)などを参考にしています。


ちなみに日本のナボコヴィアンがいままでに同様の試みをおこなっています。こちらもどうぞ。

・ベルリン時代:諫早勇一先生のHPベルリンのナボコフ


・イサカ時代:中田晶子先生のHPTransparent Thingsのコーナーイサカ時代のナボコフの家

Vladimir Nabokov: The American Years (Boyd, Brian//Vladimir Nabokov)

Vladimir Nabokov: The American Years (Boyd, Brian//Vladimir Nabokov)

Vera: (Mrs. Vladimir Nabokov) (Modern Library Paperbacks)

Vera: (Mrs. Vladimir Nabokov) (Modern Library Paperbacks)