訳すのは「私」ブログ

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【インタビュー】「〈文学〉は情報化を欲望する―― デジタル・ヒューマニティーズの可能性」

「宇野常寛とPLANETS編集部」 からインタヴューをうけました。

 

有料になりますが、noteか、ニコニコチャンネルのブロマガのサービスから読めるようです。(さわりのみ無料で読めます)

 

ch.nicovideo.jp

 

note.mu

本の内容や、本が書かれた経緯についてかみくだいて説明しています。

加えてモレッティ自身、「デジタル・ヒューマニティーズ」研究者ではないですし、

私もDHをとりいれているわけではないのですが、

『遠読』が示唆するそのあたりの可能性について少しだけ触れております。

 

 

たまたまですが、今日は山形浩生さんがcakes連載の「新・山形月報!」の中で

ナボコフの塊』と『遠読』を取り上げてくれています。

 

cakes.mu

ご紹介、どうもありがとうございます。

ひとつ、インタヴューもうけたりして思ったのですが、『遠読』がDH文学研究の最先端だと思われると非常に語弊があるようです。

『遠読』はDHの文脈でもよく知られていますし、さきがけ的な存在であることはまちがいないのですが、実はアメリカでは現在もっといろいろな、めちゃくちゃなことがおこなわれていますので(「レベルが高い」かはわからないですが)、そういったことをどこかで簡単に説明しないとまずいなあ、と。

多少時間はいただきますが、そのあたり、私の知っている範囲でなにか文章を書くつもりです。