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越境作家の外国語執筆とアイデンティティ@日本仏文学会秋季大会ワークショップ

10月29日、名古屋大学で行われる日本仏文学会秋季大会のワークショップ「越境作家の外国語執筆とアイデンティティ」で、お話させていただくことになりました。

 

コーディネーター、田中柊子先生、ほかのパネリストは塩谷祐人先生、鈴木哲平先生になります。

 

 「グローバル」という語を聞かない日はないような現在、文学においても外国語でも作品を執筆する多言語作家の存在に注目が集まっている。外国語執筆の契機は亡命、移民、難民、旧植民地出身、個人的選択など多様だが、彼らはみな複数の言語と文化の間を行き来する越境作家である。このような作家たちはどのようにして作家としてのアイデンティティや創作のスタイルを定めていくのだろうか。

 本ワークショップではまず田中が、チェコ出身でフランスに移住した作家ミラン・クンデラの世界的に読まれることを意識した自己翻訳と外国語執筆を検討する。新しい読者を意識し、母国の文化や言語的感覚をいかに変換し、また残すかという点を追究するクンデラの試みをもとに、文学的帰属、国民文学の枠組みに対する挑戦、外国語執筆で得られるものあるいは失われるもの、自らの越境状態に対する特別な意識など、越境作家のアイデンティティ形成を見ていく上で重要と思われるいくつかの切り口を提示する。
 鈴木は、アイルランド生まれのフランス語作家サミュエル・ベケットをとりあげ、主に美学的理由による「越境」「バイリンガリズム」のケースを考える。ベケットは、アイルランド出版界の保守性(宗教宗派の違いにもかかわる)、イギリスでの無理解をこえて、フランスで/フランス語で書くことをとおして、作家としてのスタイルやアイデンティティを獲得した。具体的にはその英語執筆とフランス語執筆の比較や、一方から他方へと自らの作品を翻訳する「自己(自作)翻訳」を検証する。また可能な限り、その「大陸主義」の先達であるジェイムズ・ジョイスをも参照する。
 秋草はロシア出身のバイリンガル作家ウラジーミル・ナボコフをとりあげる。ナボコフが亡命ロシア文学というコミュニティを代表するロシア語作家にベルリン―パリでなりながら、ナチスの台頭・第二次大戦を機にアメリカに脱出し、英語作家になったことは、同輩の亡命者たちからかならずしも快くうけとめられなかったという事実を出発点に、ナボコフと亡命ロシア人たちとの軋轢、最終的にナボコフが過去のロシア語作家としての自分を「自己翻訳」で破壊する様子を紹介する。
 塩谷はロシアからフランスに移り住み、フランス語で現在も執筆を続けている作家のアンドレイ・マキーヌをとりあげる。2016 年にアカデミー・フランセーズの会員に選出されたマキーヌに焦点を当てることで、「フランス文学」という枠組みやフランスの文学システムの中で、いかに越境した作家たちが「作家としてのアイデンティティ」と向き合うことになるのかを検証し、彼らを取り込む(あるいは拒む)ことで作り直されていく「フランス」文学の可能性を示唆する。
 一つの国家、言語、文化の枠組みを越えて活動する越境作家は、祖国を離れず母語で書き続ける作家たちとは異なる位置づけを与えられる。フランスに関して言えば、「フランス文学」とは別にこうした作家の作品を分類するための名称として、「フランス語圏文学」や「外国語文学」といった名称が使われる。これは文学を国別・言語別に考えていくことの限界が見てとれる現象であると言えるが、その一方で作家は生身の人間であり、限られた時間の中で特定の地域や文化に触れ、特定の言語を使って創作を行う。とりわけ、外国語で執筆する越境作家は、自らの複雑な言語的・文化的背景に向き合い、誰に向けて何を表現するのかという問題に直面する。国家の枠組みをすり抜けていく現代の越境作家の作品の内容や言語表現に、地理的・文化的・言語的特色を読み取り、彼らのアイデンティティ形成の在り方を追究するという試みは、逆説的ではあるが、今日における「文学」と「国籍」、「文学」と「言語」の関係についてあらためて考える契機になるだろう。

 

時間・場所についてはこちら。

 

大会 - 日本フランス語フランス文学会