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今野喜和人編『翻訳とアダプテーションの倫理――ジャンルとメディアを越えて』(春風社)

今野喜和人編『翻訳とアダプテーションの倫理――ジャンルとメディアを越えて』(春風社

中村ともえ先生より賜りました。どうもありがとうございます。

 

目次|contents

はじめに
第一部 翻訳の倫理

第一章 馴化された翻訳と澁澤龍彦―法律、政治と文学【スティーブ・コルベイユ】
第二章 ポール・ヴァレリーの翻訳体験をめぐって―ウェルギリウス『牧歌』仏語韻文翻訳から『樹についての対話』執筆へ【安永愛】
第三章 ミラン・クンデラと自己翻訳―フランスを介した「一般化」から読み解く作者の意図【ローベル柊子】
第四章 削除と伏字―谷崎潤一郎と窪田空穂の『源氏物語』現代語訳【中村ともえ】
第五章 事態把握と翻訳―認知言語学から見た逐語訳とアダプテーションの間【大薗正彦】
第二部 アダプテーションの倫理
第六章 法の侵害か、モラルの侵犯か―映画『ノスフェラトゥ』と原作『ドラキュラ』をめぐる考察【花方寿行】
第七章 芥川龍之介黒澤明貸借対照表―映画『羅生門』におけるアダプテーション再考【今野喜和人】
第八章 二つの「伊豆の踊子」―翻案(アダプテーション)としての映画【田村充正
第九章 ヌマンシアアダプテーションローマ帝国からセルバンテスそしてナショナリズムへ【大原志麻】
第三部 アダプテーション研究の可能性
第一〇章 ジェスの「トランスレーションズ」―あるいは創造的な共謀へのいざないについて【山内功一郎】
第一一章 ル・ボン「民族心理学」の東アジアにおける受容―李光洙夏目漱石魯迅を中心に【南富鎭】
第一二章 古代庭園文化の受容と翻案―寝殿造庭園と「名所」の発生【袴田光康】
第一三章 もの言う農民作家―閻連科の小説に見る倫理【桑島道夫】
第一四章 動物と私のあいだ―中上健次『熊野集』「熊の背中に乗って」「鴉」【渡邊英理】
執筆者紹介
索引

 

さっそく、

ローベル柊子「ミラン・クンデラと自己翻訳―フランスを介した「一般化」から読み解く作者の意図」


中村ともえ「削除と伏字―谷崎潤一郎と窪田空穂の『源氏物語』現代語訳」

を拝読しました。

 

ローベル先生のものはクンデラの自己翻訳をあつかったものです。

「一般化」の功罪の「功」の部分に言及されていますが、ややその部分が短く、通常の翻訳とどうちがうのか、それはほかの文化圏でも言えないのか(たとえばチェコ→英の翻訳では)という点が気になりました。

 

中村先生のものは戦前の源氏翻訳をあつかったもので、削除することの倫理的な問題についてです。「わいせつ」な部分を削除することで訳者の主体性が問題になるという点で、期せずして、第一章の澁澤龍彦サド裁判をあつかった章と響きあうものになっています。

 

中村先生、どうもありがとうございました。

 

 

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