訳すのは「私」ブログ

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Nabokov@Wellesley3: 9 Abbott Street, Summer 1945

1941年から1942年までウェルズリー市に一年間住んでいたナボコフですが、その後はどうだったのでしょうか。


一年はさんだ1943年からふたたびウェルズリー大学で、今度は日本で言うところの非常勤講師のような身分で、主に初級のロシア語を中心に教え始めます。


すでにケンブリッジ市のCraigie Circleのアパートに移っていたあとだったナボコフは、ケンブリッジからバスや電車、乗り合い自家用車でウェルズリーに通勤することになりました。


かといってナボコフがウェルズリーと完全に縁が切れてしまったわけではなく、夏期休暇を利用してひと月程度の短期滞在はその後も二度ほどしています。


1945年の夏はMonaghan家、9 Abbott Streetに下宿させてもらうことになりました。

After Dmitri's return from camp the Nabokovs again moved out of their city apartment to the quiet green spaces of Wellesley. This time they boarded at 9 Abbott Street with the Monaghan family, whose jolly Irish heartiness they greatly enjoyed. [. . .]
Next door to the Monaghans that summer lived Jorge Guillén and his family. Guillén, six years older than Nabokov and the head of the Spanish department at Wellesley, was one of the greatest Spanish poets of the most brilliant generation since the Spanish Golden Age. He and Nabokov had known each other since the Nabokovs' year in Wellesley in 1941-1942. AY 87-88

そこでナボコフは隣家に住んでいたスペインからの亡命詩人、Jorge Guillénと知り合いになりました。当時ウェルズリー大学のスペイン語学科の学科長だったJorge Guillénは日本ではあまり知られていませんが、スペイン文学史上重要な詩人です。



ギリェン

[生]1893.1.13.パリャドリド [没]1984.2.6.マラド
スペインの詩人。詩人グループ「1927年の世代」の一人。詩作と同時にスペインやヨーロッパ各地、内乱後はアメリカでスペイン文学を講じ、詩論に『言語と詩』(1962)がある。詩はほとんどが『うた』(28〜50)と『叫び』(57〜63)に収められ、いずれも日常世界に取材しながら、本質的に詩であるもののみを結晶させた透明な言語の世界を志向している。

『ブリタニカ国際大百科事典』の記述より



Guillénとナボコフはうまがあったようで、この後も交流は続くことになりました。ブライアン・ボイドはGuillénがナボコフの英詩「亡命」のモデルになったのではないか、としています。


現在の9 Abbott Streetがこちら。キャンパスからほど近い閑静な住宅街にありました。



ここに限らず、煙突が印象的なうちがニューイングランドには多いですね。それだけ冬が厳しいのかもしれませんが。