訳すのは「私」ブログ

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"The Man Stopped"--Nabokov's "the last complete unpublished short story"

Harper'sの2015年3月号に「ナボコフの失われた短編」が出ていました。


"The Man Stopped"というタイトルの短編です。
原文はロシア語で、1926年夏に書かれたらしいですが、未刊行に終わったものです。
ニューヨーク公共図書館のバーグコレクションに収蔵された遺稿からナボコフ研究者ゲンナジイ・バラブタルロ(そういえばこの前のNabkovianでも未発表短編の断片を出してきていましたが、そういう流れだったのか)が翻訳しています。


長さにして2ページの短いものです(といっても、日本語にしたら400字詰め10枚ぐらいはあるかな)。
内容というか、文体がかなり特異で、明らかに同時代のソ連の作家を意識した、一種の文体模倣になっています。ロシア語原文を見ることができればもう少しなにかわかるかもしれないですが……。


興味深いのが"Vasily Shalfeev"と署名されていたということです。
ロシア語時代のナボコフは「V・シーリン」以外にもペンネームを使って作品を書いていたことがありますが、これもそういったもののひとつ(の候補)だったのかもしれません。


ナボコフ全短篇

ナボコフ全短篇


(たとえば、「ヴァシーリイ・シシコフ」という短編でその内幕が明かされています)



バラブタルロはそのあとに書かれた「処刑」という詩との関連について述べていますが、個人的に気になるのは、むしろその前年の「ソヴィエトの作家たちの窮状とその理由のひとつについて数言」(1925年)という講演です(これも、手稿から研究者ドリーニンによって数年前にパブリッシュされました)。


ここでナボコフはピリニャークはじめ数人のソ連作家をこきおろしていますから、その流れで自分でもそのような作品を(揶揄目的で)書いたものの、出版には至らなかったのではないか?という気がしてきます。


バラブタルロはこの作品を指して"the last complete unpublished short story"と言っていますが、実際どうなのか。残念ながら、バーグコレクションの一部は非公開なので、なんとも言えないですが、アーカイヴから数々の発見をしてきたバラブタルロがそう言うならそうなのかもしれない。


ちなみに数年前に「ナターシャ」という(やはり未刊行の)短編が「発掘」されましたが(これは作品社『全短篇』にも入っています)、私はこの原稿もワシントンDCの議会図書館でみましたが、非常に断片的で"complete unpublished short story"とは言えないと思いました。だとすると、今回の出物はそれよりも価値があるもの、騒がれてしかるべきものだという気がします。


(ちなみに日本で比較的読まれている『文学講義』シリーズも、死後編集されたノートの寄せ集めで、もちろん貴重な資料ですが、ナボコフの作品というだけでなく編集者の作品と自分は考えています)


おそらくこの作品"The Man Stopped"は(ロシア語原文はともかく)、英語のVintage版の短編集には採録されるでしょう。ころあいを見てVintage版を買いなおさなくては。


じゃあ、これで本当にナボコフの短編はもう終わりなのか、というとなんとも言えない面があり、たとえ「未刊行の短編」がこれで打ち止めでも、「既刊行の短編」でまだ見つかっていないものがある可能性があるからです。


実際、短編「復活祭の雨」なんかはかなり最近になって偶然見つかったものですし、研究者シュライヤーはナボコフの短編小説をあつかったモノグラフでそのようなタイトルのみ伝わる短編を数本あげています(掲載紙が不明、あるいは失われた)。


The World of Nabokov's Stories (Literary Modernism Series)

The World of Nabokov's Stories (Literary Modernism Series)



ところで、今号の『ハーパーズ』にはほかにもウィリアム・T・ヴォルマンの骨太のフクシマ探訪記 "Invisible and Insidious"が載っていて、興味深く読みました。Into the Forbidden Zone: A Trip Through Hell and High Water in Post-Earthquake Japanの続編ですね。
こちらも訳出されてしかるべきでしょう。


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ザ・ライフルズ (文学の冒険シリーズ)

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