訳者の山辺弦さんから訳書をご恵投いただきました。
どうもありがとうございます。
本書はシリーズ「フィクションのエル・ドラード」の一冊として刊行されているようです。水声社のページで今後のラインアップも見ることができます。
blog 水声社 » Blog Archive » 8月の新刊:《フィクションのエル・ドラード》『八面体』
「いまのご時世」で、これだけ手厚いシリーズが刊行されるというのは、ちょっと(ほかの外国文学を研究している身からすると)考えられないぐらいすばらしいことだと思います。
(ちなみに訳者の山辺さんは今後もまだ二冊(インファンテ『気まぐれニンフ』とピニェーラ『圧力とダイヤモンド』)の翻訳予定があるようです。)
また、水声社だけでなく、松籟社も「創造するラテンアメリカ」というシリーズを刊行していますね。ほかの出版社からももちろん出ています。
なぜラテンアメリカ文学の紹介がここまでされるようになっているのかには、様々な要因があるのでしょうが(たとえば、未訳の作品で翻訳に値する傑作が多いということが大前提ですが)、一番は40代中盤~50代前半ぐらいの脂ののった研究者が適切なポジションについて学会を指導し、その下につづく30代~20代の優秀な若手研究者に仕事をまわすというサイクルができているからではないか、と外からは見えます。
このことは、ラテンアメリカ研究業界が、比較的歴史が浅く、全体として若い組織だからできているようにも思えます。学会が高齢化すれば、メリットもありますが、かえって若手は自由に動きづらくなるということもあります。
また、スペイン語教育の需要が今後も当分は少なくなさそうなのもいい点でしょう。ポストをえるかえないかの若手が最低限の衣食住ができない状態では、研究や(ほぼ収入にならない)文芸翻訳はできません。ここも微妙なさじ加減があり、かといって早めに常勤のポストを獲得できる環境でも、そのポストが非常に忙しかった場合、やはり研究・翻訳はやりにくくなるでしょう。
こうした組織的・網羅的な研究紹介がおこなわれている現状を見ると、もはや日本でラテンアメリカ文学のステータスは、たとえば現代ドイツ文学や現代ロシア文学を凌駕していると言ってもいいかと。
本書の訳者あとがきによれば「スペイン教育・文化・スポーツ省からの出版助成」によるもの、とのことですが、こういった後押しがあるのも重要ですね。
ロシアとかでもあるにはあるみたいなのですが、日本で使われているのをほぼ見たことがありません…おそらくあまり使いやすいもののではないのかと。