訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

イサーク・バーベリ「公共図書館」(1916年) [※自粛翻訳]

公共図書館

イサーク・バーベリ

 

 足を踏みいれればすぐ、そこが書物の王国だとわかる。図書館で働く人々は本と親しみ、そこに映った人生に親しんでいるせいで、自分自身、生きた本物の人間の影と化している。

 受付係の男ですら、謎めいた静けさを身に纏い、思慮深い平穏の気に満たされている――その髪色も、黒髪とも金髪ともつかない、なにかその中間のように見える。

 日曜日には、彼らは家で――おそらく――工業用アルコールで酔って、妻を延々と小突きまわしているのだろう。でも図書館では騒ぎたてることもなく、差し出がましくもなく、陰鬱さのベールに包まれている。

 ここに、ある受付係がいた――彼は絵を描くのだ。その瞳には柔和な哀しみが湛えられている。二週間に一度やってくる、黒いスーツを着た太った男からコートを受けとるさい、彼は声を潜めてこんなことを呟いた――「ニコライ・セルゲイヴィチはぼくの絵をほめてくれたし、コンスタンチン・ヴァシリエヴィチもぼくの絵をほめてくれた。ぼくは小学校しかでていないし、ここを辞めたところでどうしていいかさっぱりわからない」。

 太った男はそれを聞いている。男は記者で、既婚者で、大食漢で、働きつかれていた……。図書館には二週間に一度、休憩するために来るのだった――刑事訴訟に目を通し、殺人事件がおこった場所の見取り図をせっせと紙片に描きうつすのだ――満足がいく出来だと、結婚していることも、仕事の疲れも忘れていた……。

 記者は驚き、当惑しつつも、受付係の話に耳をかたむけ、こう考える――こんな奴、どうあしらったものか? 出るときに十コペイカ貨を一枚やろうか――むっとするかもしれんな。芸術家だから。やらなければやらないでむっとするかもしれんな。とにかく受付係なんだから。

 閲覧室ではもっと上の職員がいる――司書だ。うち何人かは「目立つ」ものがいた――はっきりした肉体上の欠陥があったのだ。指が鉤状に曲がっていたり、頭が横に倒れたままになっていたりした。身なりも悪く、極端に痩せていた。あたかも、未知なる世界の、なにかの考えに憑りつかれてしまっているかのように見える。

 ゴーゴリなら、こうした人物をうまく書いてやっただろうに! 

司書で「目立たない」ものもいる――頭はうっすら薄くなりはじめ、清潔なグレーの制服を身につけている。目つきには折り目正しさがにじんでいたが、身のこなしは見ていて辛くなるほど遅い。口に何もはいってないとときでさえ、始終あごを動かせて、もぐもぐやっている――いつもの口癖をぶつぶつ言っているのだ。要は、本のせいでだめになってしまった人々だ――あの滋味に富んだあくびを禁じられたせいで。

 いま、戦時下にあっては、利用者も変ってしまった。学生はめっきり減った。学生はほとんどいない。ごくまれに学生がいるかと思えば、隅っこで益体もなく朽ち果てている。兵役免除者だ。この手合いは角製の鼻眼鏡をかけ、優雅にびっこをひいている。

 しかし、国家奨学生もいる。国家奨学生――なまっちろく、口ひげを垂らして、人生に倦んだ深淵なる思索家。ちょっと読書をしたかと思えば、ちょっと考えごとに耽り、ランプの模様をじっと眺め、また本に目を伏せる。いずれ大学を終えれば、兵役につかねばならない。でも、急いでなんになる? 急がずともいいじゃないか。

 かつての学生が図書館に帰ってくる――傷痍軍人のなりで、体には黒ずんだ包帯が巻かれている。怪我は癒えつつある。若く、血色もいい。ネフスキー通りでディナーを食べ、街を練り歩く。ネフスキー通りにはもう明かりが灯っている。『株式仲買人通報』の夕刊は、戦勝記念のパレードをはじめてしまう。エリセーエフ商店には発酵させたぶどうが並べられている。社交をするには時期尚早だ。軍人は昔の記憶をたどって公共図書館にいき、着席したテーブルの下で脚をうんと伸ばし、『アポロン』を読む。退屈だ。むかいに座っているのは女子学生だ。解剖学の勉強で、ノートに胃を模写している。出身はカルーガのあたりだろう――大きな顔、骨太で血色がよく、ひたむきで忍耐強い。恋人がいるとすれば、大正解だ――愛を育むためのよい材料になる。

 娘のそばに活人画がある――ロシア帝国公共図書館にはどこもつきものだ――寝ているユダヤ人。疲労困憊している。その髪は燃えるように黒い。頬は落ちくぼんでいる。額にはこぶがあって、口は半開きだ。ときどきいびきをかいている。どこから来たのかはわからない。どこかに居住権があるのかすらわからない。毎日、本を読んでいる。毎日、寝ている。顔にはおぞましい、根絶しがたい疲労の跡――ほとんど狂気のような――が浮かんでいる。本の受難者、あの格別な、ユダヤの不滅なる受難者だ。

 司書のテーブルのそばで、大柄な女性が好奇心丸出しといった様子で本を読んでいる――グレーのブラウスを着て、ふくよかな胸元をしている。彼女はあの、図書館で不意に大声をだす人物、本の記述にわざとらしいほど大仰に驚いて、有頂天になって隣人に話しかける人物のひとりだった。家で石鹸を作る方法をさがして、本を読んでいるのだ。年齢はだいだい四十五といったところか。正常だろうか? 少なからぬ人がそう自問する。

 もうひとり、常連客がいる。やせっぽちの大佐だ。ぶかぶかの上着を着て、幅広のズボンをはき、よくよく磨きあげた長靴をはいている。足は小さく、口ひげは煙草の灰の色をしている。ポマードを塗って、ダークグレーの色調の幅を引き出している。昔、彼は無能なあまり、大佐まで勤めあげることができず、そのせいで退役したとき少将になれなかった。退役すると、庭師や女中、孫をはなはだうんざりさせるようになった。齢七十三にして、自分の連隊の物語を書きとめなくてはならないという意識に目覚めた。

 大佐は本を書いている。何十キロもの資料を囲まれている。大佐は司書たちから好かれている――とても慇懃に挨拶するからだ。もう家人の気に障ることもない。よろこんだ女中は、長靴をこれ以上ないほどぴかぴかにしてやった。

 公共図書館にはありとあらゆる種類の人々が大勢いる。全部を書きとめることなど到底できない。ある輩など、ぼろぼろのなりですることと言えば、バレエについての豪華絢爛たる著作の執筆なのだ。顔はハウプトマンを悲劇的にしたようなご面相で、体は貧弱。

 もちろん、『ロシア帝国傷痍軍人』と『官報』の山をぺらぺらめくっている役人もいる。田舎の若者たちもいる――本を読みながら燃えているようだ。

 夜。ホールは薄暗い。テーブルには身動きしない人影が――疲労、知識欲、功名心の寄せ集め……。

 大窓のむこうでは雪がしめやかに降っている。近傍では――ネフスキー通りでは――生命が沸き立っている。遠方では――カルパティア山脈では――血が流れている。

 人生なんてそんなものさ【セ・ラ・ヴィ】。

 

一九一六