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日本比較文学会東北支部編『問題としての「アメリカ」――比較文学・比較文化の視点から』晃洋書房

高橋由貴・伊藤豊先生からご恵投賜りました。どうもありがとうございます。

日本比較文学会東北支部編『問題としての「アメリカ」――比較文学比較文化の視点から』晃洋書房

 

国も個人も時代も、影響を受けずにはいられない存在、アメリカ。近代日本文学・文化の領域に現れた「アメリカ」の姿を様々な主題に沿って検討し、知識人や大衆の間の「アメリカ言説」の展開を日本以外の事例も含めて考察する。

 

川端、三島、村上春樹、ブロツキーや「386 世代」の韓国映画監督たち。占領、東西対立、大衆文化の展開など、多様なトピックをめぐって近代日本、そして世界に展開した「言説としてのアメリカ」の内実を、比較文学および比較文化論的な分析によって明らかにする論集。

 

 

 

はじめに      森田直子


第Ⅰ部 日本文化における「アメリカ」

 

第1章 川端康成伊豆の踊子』とThe Izu Dancer――アメリカ冷戦期文化政策と翻訳された自然――

江口真規
第2章 民主主義とエマソン――高木八尺におけるアメリカ言説のアイロニー――

小林竜一
 
第3章 大衆社会の「美」に逆らうもの─―三島由紀夫の批評的創造――

山﨑義光

 

第4章 村上春樹の『地獄の黙示録』受容とヴェトナム戦争――エッセイ『同時代としてのアメリカ』から小説「午後の最後の芝生」へ――

高橋由貴


第5章 ふたつの名前を持つ映画について――谷崎潤一郎「人面疽」論――

森岡卓司

 

第6章 「アメリカ」を書き直す――川端康成の1930年前後をめぐって――

仁平政人
 
第Ⅱ部 アメリカ言説の諸相

 

第7章 親愛なるアメリカの不在――ロシア語亡命詩人ブロツキーの詩学・世界図――

中村唯史

 

第8章 ポストコロニアルアメリカ表象へ――韓国における〈戦後〉のアメリカ表象をめぐって――

佐野正人

 

第9章 ゾンビ――アポカリプス的世界観から生み出される未来への希望――

梁 姫淑

 

第10章 司馬遼太郎が見たアメリカ――比較文化心理学・文化心理学・異文化マネジメントの観点から――

金子 淳

 

第11章 江藤淳の〈反米〉と「私」――『アメリカと私』再読――

塩谷昌弘

 

第12章 反米主義――「感情のうねり」をめぐる私考――

伊藤 豊
 
あとがき ――「アメリカ」という問題群――

伊藤 豊・森岡卓司