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訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

消えた作家、ドミトリイ・バーキンを追って

書いたもの

ドミトリイ・バーキンの『出身国』を刊行してからわかったことですが、
エージェント・出版社経由で作家バーキンが4月7日に死去していたことがわかりました。


死亡記事(ロシア語)


仕方がないこととはいえ、一時期は数か国語に訳されたのに、
ロシア語のメディア以外ではほとんど報じられていないようなのが寂しいですね。


記事によれば死因は「重い病気」とのことです。少なくとも事故のようなものではないようです。

まだ52歳で、トラック運転手の引退後は作品をどんどん発表してくれるのではないかと思っていただけに残念です。


ロシア語版Wikipediaより写真を転載します。



短編「武器」の「男」のように、どことなく神経質そうに家の外を見つめている人物。
はじめて見るドミトリイ・バーキンはそんな人物に映りました。




以前群像社の友の会の会員向けに発行している会報『ロシア文化通信 群 GUN』に書いた「消えた作家、ドミトリイ・バーキンを追って」という文章を許可をえてブログに再掲させていただきます。



「消えた作家、ドミトリイ・バーキンを追って」


ロシアの見せかけの平穏を打ち砕く火の玉――ヴィクトル・ペレーヴィン


 一九九六年度のロシア・アンチブッカー賞の授賞式、作家や評論家に絶賛された小説部門の受賞者は、メディアが待ちうける会場に姿をあらわすことはなかった。かわってあらわれたのは受賞者の妻らしき人物だけで、それも好奇の目にさらされることを避けるためか、賞がもたらす名誉や、それを授ける権威に興味がないのか、あるいはその両方か、賞金を受けとるとそそくさと会場をあとにしてしまったのだった。受賞者のこうした振るまいが、逆にこの「謎の作家」への興味をかきたてたことは言うまでもない。このエピソードはなかば伝説化して、語り継がれている。

 受賞者の名はドミトリイ・バーキン。受賞作となった作品集『出身国』にはプロフィールの類は記されていないが、いくつかの情報を総合すると、経歴は次のようなものになる。一九六四年ドネツク州(現ウクライナ)生まれ。七歳の時にモスクワに転居。公立学校を出たあと、医療系の大学に進むが、すぐに予備役に編入される。その間に作品を書きためていたらしい。ペレストロイカの時期に雑誌『灯火【アガニョーク】』 に短編を発表してデビューした。

 バーキンは専業作家ではない。生活費を稼ぐためにトラック運転手として務め、その空き時間を執筆にあてている。ロシアにはほかにもヴィクトル・ペレーヴィンのように、戦略的に顔写真を出さない作家はいるが、バーキンの場合、へたに騒がれるとトラックの運転手をやっていられなくなるから、という生活上の理由でメディアに顔出しをしないのだという。ちなみに「バーキン」という姓はペンネームなのだが、それも同じ理由からだ。本名はドミトリイ・ボチャロフ。ソ連アフガニスタン侵攻に取材した『ロシアン・ルーレット』など多数の著書で知られる作家、ジャーナリストのゲンナジイ・ボチャロフを父親にもつ。ただバーキン自身は、ほかの作家との付き合いは一切ないらしい。

 英訳版『出身国』――『生きることの意味』(二〇〇二年)には、ロシア文学バイロン・リンゼイによる序文が収録されている。当時、モスクワ中心部のアパートに幼い息子と妻と暮らしていたバーキンに面会を許されたリンゼイによると、作家は細身だが筋肉質で、口ひげをはやし、低い声をしていた。バーキンは保守的な政治観の持ち主で、文学について言葉少なに語ったという。


 一読して強烈な印象を残す作品集『出身国』は、七本の短篇からなっている。時代は戦後〜八〇年代のソ連。どの話も異常に陰鬱な雰囲気であり、登場人物は片腕であったり、足の指が六本あったりと、なんらかの奇形であったり、疾患を抱えていたりすることが多い。「兎眼」など軍隊生活や、退役後を描いた話も多く、作者自身の一九八四年から一九八六年の兵役体験が重要な役割を果たしているようだ。
 幻想的な要素は少ないが、奇異な内容、特異な文体のため、通常のリアリズムの基準も適用しがたい。表題作「出身国」は、体内に巨大な耳鳴りをかかえこんでいる身長一五〇センチの男の話である。その冒頭は次のようになっている。


 往時から、ずっと耳鳴りがしていたが、それはもはやかつてのような、全身が、骨が、歯が、爪が鳴っているほど大きいものでも、肉体の洞*うろが壊れるほど身を震わすものでもなく、そのために自分に向けられた言葉が聞きとれないほどの呻りでもなかった。だが、男はかつて自分にこう告げたのだった――これは俺の心臓の呻りだと。そして、かつては自分の言葉も聞こえず、ただ思惟に耳を傾けるのみだったのに、今や、たまたま駅で自分を拾った女と結婚し、その女に連れられて、義母の前に立つ段になると、男は二人の声を聞くことはできたが、なんとかそれに慣れようと、明瞭な言葉を自分の中にいれようとして、他人の言葉を物理的に触知できるなにかに変えてみた結果、顔面の皮膚が感じるその言葉は、ほとんど重さのない綿の塊のように軽々としたものでしかなかった。しかし、体内で鳴る地崩れの轟音をかき消すための、静けさの中で声をはりあげる習慣から逃れる試みはうまくいかず、けたたましい金切り声をはりあげればはりあげるほど、言葉の意味はいっそう支離滅裂になり、窓ガラスはきしみ、澄んだ水は濁り、暖炉の灰は震えるのだった。

息の長いこの文章そのものが、主人公の男がかかえこむ耳鳴りを模しているようでもあり、独特のリズムで、読者を異様な世界に引きずりこんでしまう魔術のような力を持っている。奇妙な記号で書かれた家系図を持ち歩く男は、女のうちにころがりこんだのち、自分の呪われた系図を隠滅しようとするが、耳鳴りを鎮めることはできない。男の心臓には、七代前の先祖に撃ちこまれた鉛弾が眠っているのだから。
 ほかにも、主人公の男が、「奴ら」に異常に怯えるあまり、家中に防御策を張りめぐらせ、あげくのはては毒殺を恐れて食事・飲料もとらなくなるのだが、その理由、「奴ら」がだれなのかは最後までわからない、謎めいた作品「武器」など、直接明示されることがなくても、バーキンの作品にはカタストロフや、暴力の気配に満ちている。


 海外でも紹介されており、筆者が確認したかぎり、『出身国』は英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・オランダ語に翻訳され、出版されている。日本でも沼野充義が作品集の発表の直後に「おそらく大作家に成長する」「新しい master の登場」と激賞していた。しかし、こうした期待は、肩すかしを食わされる格好になった。バーキンがこの、好評を博した作品集のあとに発表した作品は、短篇二本だけだったからだ。


 その後、「謎の作家」は一〇年近く沈黙しつづけた。しかし二〇〇七年、長編『死から誕生へ』からの一章、という文章が雑誌『時間と場所』に発表され、読書人を驚かせた。内容は旋盤工の父と小児科医の母をもつ少年の目線から、湖のほとりの掘っ立て小屋に生活する老人などの奇妙な人々を描いたものだった。バーキン独特の息の長い文章は健在なまま、多少突飛さをおさえたことで作品世界に入っていきやすくなったようでもあり、一〇年越しの復活への期待が膨らんだが、現在に至るまで、この続きが発表された形跡はない。


 比較的近年(二〇〇八年)になってされたインタヴューでは、「本業」のせいで書く時間がほとんどとれず「九年間ほとんどなにも書いていない」という。はたして、バーキンは彗星の如く現れ、一瞬のきらめきを残して消えていった、世紀末のロシア文学に咲いたあだ花だったのか(一作だけで消えていった作家などそれこそ星のようにいる)。しかし、一度文壇から消えたにもかかわらず、作品の一部が掲載されたり、インタヴューがおこなわれたりするなど、潜在的にこの異端児の復活を望んでいる読者は少なくないように思う。自分もそのひとりである。


2012年8月


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出身国 (群像社ライブラリー)

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