2014-01-01から1年間の記事一覧
投稿した論文が掲載されました。 「カノンをはかる――「世界文学全集」に見る各国別文学の受容の移り変わり」『世界文学』120号、2014年、65−76頁。 1927年から2011年まで、『世界文学全集』30種、1629冊の国(言語)別にわりあてられたページ数を計算し、シ…
多言語発信サイト「nippon.com」にエッセイ?コラム?を寄稿しました。 二回目になります。 「ロシア文学翻訳の現在 古典新訳からソローキンまで」 「ドストエフスキーはドラクエIIIだった!?」という内容になっております。 [asin:4102010106:detail]
愛知学院大学の山口均先生から共著書をご恵投いただきました。 日本T.S.エリオット協会設立二十周年を記念して刊行された論文集です。 モダンにしてアンチモダン ――T.S.エリオットの肖像作者: 高柳俊一,佐藤亨,野谷啓二,山口均出版社/メーカー: 研究社…
東京大学出版会の発行する雑誌『UP』に文章を寄稿しました。「21世紀 世界文学カノンのゆくえ④ 「世界文学」になる方法」『UP』2014年12月号、37−44頁。隔月連載「21世紀 世界文学カノンのゆくえ」の第4回目になります。 『UP』は大学の生協などで配…
日本ナボコフ協会秋の研究会が、 11月29日に名古屋の南山大学で開催されるようです。 詳細はこちら。 ふるってご参加ください。 Transitional Nabokov作者: Will Norman,Duncan White出版社/メーカー: Peter Lang Pub Inc発売日: 2009/03/30メディア: ペーパ…
頭木弘樹さんから訳書をご恵投いただきました。 以前、ヒットして新聞・テレビなどのメディアにもとりあげられた『絶望名人カフカの人生論』の文庫版になります。 頭木さん、どうもありがとうございました。 絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)作者: フラン…
多言語発信サイト「nippon.com」にエッセイを寄稿しました。「亡命と移民の現代」しばらくの間、三か月に一度ほどの頻度で文章が掲載されるはずです。 赤露の人質日記 (中公文庫 M 38)作者: エリセーエフ出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1976/11/10メデ…
奥彩子さんから共著書をいただきました。 東欧地域研究の現在作者: 柴宜弘出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2012/10メディア: 単行本 クリック: 13回この商品を含むブログ (4件) を見るこちらの本では共編と第1章「文学史のなかの魔女たち――東欧女性作家…
東京大学出版会の発行する雑誌『UP』に文章を寄稿しました。「21世紀 世界文学カノンのゆくえ③ 新しい「世界文学」のヒロイン」『UP』2014年10月号、28−37頁。隔月連載「21世紀 世界文学カノンのゆくえ」の第3回目になります。 『UP』は大学の生協な…
共同研究者の川島隆さんから共訳書をいただきました。 ジュビレ・クレーマー『メディア、使者、伝達作用――メディア性の「形而上学」の試み――』(宇和川雄、勝山紘子、川島隆、永畑紗織訳、晃洋書房、2014年)メディア、使者、伝達作用―メディア性の「形而上…
白樺派のひとりとして知られる郡虎彦(1890-1924)は英語で劇作をしたことで知られています。 とはいえ、郡自体がもうほとんど忘れられた存在ですが。 この先駆的なバイリンガル作家の自己翻訳について調べてみました。 里見紝・志賀直哉・武者小路実篤編『…
東京大学出版会の発行する雑誌『UP』に文章を寄稿しました。「21世紀 世界文学カノンのゆくえ② 「世界文学」はどれぐらい日本文学なのか?」『UP』2014年8月号、32−40頁。隔月連載「21世紀 世界文学カノンのゆくえ」の第2回目になります。 「「世界文学…
山形浩生『朝日新聞』2011年4月24日 今福龍太『読売新聞』2011年6月13日 竹内恵子『週刊読書人』2011年7月1日号 後藤篤『図書新聞』2011年7月30日号 北代美和子『翻訳研究への招待』2011年、6号 西成彦『比較文学』2012年、54号 小西昌隆『ロシア語ロシア文…
日本比較文学会東京支部7月例会で報告をおこないます。 ショートノーティスですが。 7月19日(土)午後2時より 日本大学法学部10 号館1073講堂(1042より変更) 「ハーヴァード大学比較文学科見聞録」 詳細は以下にて。 http://www.nihon-hikaku.org/shib…
ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849‐1912)の自己翻訳について、パスカル・カザノヴァの『世界文学空間――文学資本と文学革命』(岩切正一郎訳、藤原書店)にあったのでメモ。 初期の戯曲や小説集がいち早くフランス語に翻訳されたにもかかわらず、そ…
共同研究者として参加している 「プロジェクト人魚」のウェブサイトが開設されました。 東京理科大学の中丸禎子さんが代表のプロジェクトです。 「プロジェクト人魚」ウェブサイト 活動内容など、くわしくは上記のサイトでご覧ください。よろしくお願いしま…
ヨコタ村上先生に書評を書いていただきました。 Shunichiro Akikusa, Nabokov Yakusunowa "Watashi": Jiko honyaku ga hiraku tekusuto (Nabokov, Translation Is Mine; How Self-translation Creates the Text), Tokyo: U of Tokyo P, 2011『比較文学』56号…
東京大学出版会の発行する雑誌『UP』に文章を寄稿しました。 「21世紀 世界文学カノンのゆくえ① はじめに『ハーヴァード・クラシックス』ありき」『UP』2014年6月号、20−27頁。 「21世紀 世界文学カノンのゆくえ」という連載の第一回目になります。 隔月…
川島隆さんからご恵贈いただきました。ヴィジュアル資料がたくさん使われていて見て楽しいだけでなく、 当時の社会状況・言語など背景知識が(思った以上に)詳しく書かれていて勉強になりました。図説 アルプスの少女ハイジ (ふくろうの本/世界の文化)作者:…
2014年4月26日に東京外国語大学にておこなわれるようです。2013年の「ナボコフと英文学」についで、今年は「ナボコフとロシア文学」だそうです。海外からのゲストを招いての招待講演1本にシンポジウムという内容です。*1 [asin:0801448204:detail]ナボコフの…
アメリカでのナボコフの住居・滞在先をまとめてみました。 といってもニューヨーク・ケンブリッジ周辺・イサカだけですが、 これで旅行先以外はカバーできます。 住居・滞在先時系列順+主な作品(出版年)1940-1964 1940年5月26日 ニューヨーク着 1940年5月…
まだ移動の途中で立ち寄ったり、詳細不明な滞在先をふくめればNYCに宿泊したこともたびたびあるかと思いますが、とりあえずまとめます。 ①32 East 61st Street ②1326 Madison Avenue ③35 West 87th Street ④304 West 75 Street ⑤Hotel Windermere, 666 We…
1964年3月にナボコフはやっと出版にこぎつけた『エヴゲーニイ・オネーギン』訳注の プロモーションのためにニューヨークを訪れました。 Late in 1963, Nabokov had agreed to come to New York for the launching of Eugene Onegin. He and Vera set off fro…
1962年6月にナボコフはふたたびニューヨークを訪れました。 Nabokov disembarked on June 5 and stayed at the St. Regis Hotel on Fifth Avenue for two "very busy, very amusing, very tiring" weeks in New York, starting with a solid bank of intervi…
1960年、ナボコフは再度アメリカに戻って来ました。スタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』の脚本を書き下ろすためです。 西海岸で脚本を執筆した後、NYCにやってきたさいに宿泊したのがHotel Hampshire Houseの503号室でした。 ここは本当にセン…
その後、カリフォルニアに行ったあと、秋になってまたNYに戻ってきたナボコフ夫妻が投宿したホテルが、 Park Crescent Hotelでした。 They reached New York at the begging of September, and stopped at Manhattan's park Crescent Hotel, at 87th Stree…
ナボコフがつぎにNYCを訪れたのは(?)、『ロリータ』がヒットしてコーネル大学をやめた直後、 1959年のあたまのことでした。 Reaching Manhattan the next day, they moved into a pleasant apartment in the Windermere Hotel. Over the next six week…
どんどん続きます。 After a week back at 1326 Madison Avenue, the Nabokovs moved in mid-September into a brownstone at 35 West 87th Street, "a dreadful little flat," small and uncomfortable but cheap and close to Central Park. AY17 ここが現…
32 East 61st Streetのアパートに住んでいたナボコフ一家ですが、6月10日から1326 Madison Avenueに安価なサブレットを発見して移りました。 このアパートの持ち主のLehovich夫人のおばのPanin伯爵夫人は、偶然にも1917年にクリミアでナボコフ一家に避難先を…
さて、1940年5月26日にアメリカについたナボコフは、ナボコフのいとこにして作曲家(1933年から米国に滞在していました)ニコライ・ナボコフ(1903-1978)の前妻のナタリヤ・ナボコフのアパートメントに滞在しました。 They had take a taxi [. . . ] to Natal…