白樺派のひとりとして知られる郡虎彦(1890-1924)は英語で劇作をしたことで知られています。
とはいえ、郡自体がもうほとんど忘れられた存在ですが。
この先駆的なバイリンガル作家の自己翻訳について調べてみました。
里見紝・志賀直哉・武者小路実篤編『郡虎彦全集』(邦文編、英文編、別冊)創元社、1936年
によれば、その自己翻訳は以下の通り。
劇作
「鉄輪」(1913)→"Kanawa: The Incantation"(1918)
「王争記」(1917)→"Saul and David"(1918)詩
「ささめ雪」(1913)→"Whispering Snow"(1920)
「昇天祭」(1917)→"Palm Sunday"(1920)
「懐胎」(1914)→"Ripening"(1920)
「窮り無くよき者に」(1912)→"To the Infinity Good One"(1920)
「賛歌」(1917)→"Song of Praise"(1920)
「婦徳」(1912)→"Womanly Virtue"(1920)
「恋慕」(1917)→"Love"(1920)
「成熟」(1917)→"Fruition"(1920)
へスターは一八九〇年の生れで、虎彦と同い年だった。にもかかわらず、「母となり、姉となり、而して愛人と」なって検診するへスターに援けられて、虎彦はまず英文で"Saul and David"を書きあげ、日本語に書きあらためて『王争曲』を完成させた。169−170頁
『王争曲』のあと、虎彦は自作の『鉄輪』の英訳にとりかかった。ヘスターと昵懇のイーディス・クレイグが、虎彦の話を聞いて、自分の主宰するパイオニア・プレイヤーズで上演したいと申し出たからだ。172頁
虎彦の翻案は、もっぱらその女の執念という主題に絞り込んで、前妻が鬼の姿となってあらわれ、後妻だけでなく夫をも呪い殺してしまう情景に主眼点がおかれている。173頁
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『サウルとダビデは』、一九一八年の英国での刊行に先立つ一年前、郡自身の翻訳により、『王争曲』という邦題のもと「新小説」に発表された(ただし、英語版と日本語版の間には、第四章第一場に若干の異同がある)。326頁。
次作の『えせ騎士』や『義朝記』も同様だが、詩人は『親王アブサロム』の邦訳を遺していない。『道成寺』で主役を演じた市川左団次による舞台化を期して翻訳した『サウルとダビデ』の日本上演に失敗し、また作品の文壇での評価も芳しくなかったところから、おそらく、その意訳を失ったものであろう。340頁。
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以前ここで少し触れた野口米次郎(1875-1947)
http://d.hatena.ne.jp/yakusunohawatashi/20120602/1338665271
西脇順三郎(1984-1982)
http://d.hatena.ne.jp/yakusunohawatashi/20110509/1304967036
とならべると、おぼろげながら日本の近代における自己翻訳の系譜が見えてきます。
時間がないのでかいつまんで言えば、それは英米のモダニズム詩の動きと連動していた現象だったのではないか、と仮説をたててみることも可能でしょう。
イェイツやパウンドが重要人物として浮かび上がってきます。
結局、モダニズムをもっともよく理解した西脇がもっとも成功したのではないか。
(そして多和田葉子や関口涼子ら新しい自己翻訳者はポストモダニズムと連動している)
興味深いのはこの三人がみな、外国人の妻をもったことです(レオニー・ギルモア、ヘスター・セインズベリ、マージョリー・ビットル)。
三人の妻たちが、創作や自己翻訳に程度の差こそあれ、力をかしたのだと言えそうです。
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