2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧
1957年2月、ナボコフ一家はまた別の家にひっこしました。 今度は平屋建ての家です。 『青白い炎』の舞台のモデルになった家らしいですが、ナボコフ一家のお気に入りだったようです。。青白い炎 (ちくま文庫)作者: ウラジーミルナボコフ,Vladimir Vladimirovi…
その後、1956年からの半年間、ハンショーロード425番地のべつの教授宅を借りました。 平坦な道なら徒歩15分の距離なのですが、 ダウンタウンから歩いて30分、川を渡って、坂をのぼって やっと原稿などをおさめるCarl A. Kroch Libraryがはいっているオーリン…
1955年の7月中旬にナボコフ一家はまた別の教授の家にサブレットで引っ越しました。 ここにも1年ほど住むことになりました。 イサカにあるケイユーガ(カユガ)湖です。 フィンガーレイクスのなかでももっとも細長い湖です。 湖畔の公園は、人々の憩いの場に…
2013年9月6日発売の『早稲田文学』6号に寄稿しました。 「「レキシントンの幽霊」異聞」、『早稲田文学』6号、467-477頁。 早稲田文学6 通常版作者: 青沼静哉,仙田学,間宮緑,多和田葉子,オルガ・トカルチュク,ニコール・クラウス,ドン・デリーロ,千野帽子,朝…
1954年9月1日からナボコフ一家が住むことになったのは、 「キャンパスはずれのスチュワートストリート700番地にあるベルエア・アパート30号室」でした。 イサカ時代には珍しく、アパートメントスタイルの住居です。 玄関の中。 イサカの街は峡谷に位置し、丘…
1954年の2月からはまた別の教授の家を借りて移りました。 空港からイサカのダウンタウンまでは車で30分ほど。 イサカはそもそもホテルが少なく、 町はずれのモーテルに泊まったんですが、これが実はのちのち大変なことに。 ホテルのそばで会ったネコ。
1952年の新学期から、また引っ越します。 今度は北へ数百メートルいったところに小さな家を借りました。 小さいといっても日本の感覚からするとだいぶ大きいですが。 おしゃれな家でした。 たんたんと家だけ書いていってもつまらないので、 イサカの街につい…
1951年の新学期から、また新しいうちに移動します。 今度はキャンパスの北のHighland Roadで、このあたりは閑静な住宅街という感じでした。 環境が気に入ったのか、この辺りには以後も何度も住むことになりました。 この辺は静かですが、不便なところで、も…
ナボコフは前回のうちには1か月しか住みませんでした。 すぐに802 East Seneca Streetの家に引っ越ししています。 この家にはイサカの10軒のうちのなかではもっとも長く住み(約2年)、 アメリカで2番目に長く滞在した場所になりました(一番は8 Craigie Cir…
1948年の7月にケンブリッジから移ってきたナボコフがとりあえず借りたのが 957 East State Streetの家でした。 このイサカ時代、ナボコフは基本的に自分の家を持たず、 サバティカル(研究休暇)で留守になった家を借りていました。 本格的に家を持たなかっ…
以前、"Nabokov@Cambridge"で、ボストン・ケンブリッジ(ウェルズリー)時代、 作家ウラジーミル・ナボコフの住んでいた家・ゆかりの場所の「ツアー」をしました。 そこのIntroductionでも書いたのですが、 ナボコフのアメリカ時代には続きがあるわけです。 …