訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

2012-01-01から1年間の記事一覧

自己翻訳者の不可視性――その多様な問題

書いた論文が掲載されました。 「自己翻訳者の不可視性――その多様な問題」『通訳翻訳研究』12号、2012年、155−174頁。 内容は、20世紀の作家を何人かとりあげ、その自己翻訳の実態についておもに外面的に論じたものになっています。このブログの過去記事の内…

小西書評

ナボコフ研究者の小西昌隆氏に拙著『ナボコフ 訳すのは「私」――自己翻訳がひらくテクスト』の書評を書いていただきました(『ロシア語ロシア文学研究』44号)。ありがとうございます。 今現在、もっとも専門的(ナボコフ批評)な観点から書かれた書評だと思…

ロシア系<世界文学>の出発

書いた論文が掲載されました。「ロシア系<世界文学>の出発――亡命文学、ユダヤ文学、各国語文学を超えて――」『比較文學研究』97号、45-60. 『比較文學研究』は(一部)書店でも取り扱っている雑誌です。 興味がある方はご一読ください。 比較文學研究〈97〉…

Nabokov@Wellesley4: 6 Cross Street, Summer 1946

さて、1945年の夏に滞在してあらためてウェルズリーが気に入ったのでしょうか、1946年の夏にナボコフはまたウェルズリー市内の先生の家を一ヶ月ほど間借りしました。それが6 Cross Streetの家でした。ここでナボコフは来学期の講義の準備をしたといいます。 …

Nabokov@Wellesley3: 9 Abbott Street, Summer 1945

1941年から1942年までウェルズリー市に一年間住んでいたナボコフですが、その後はどうだったのでしょうか。 一年はさんだ1943年からふたたびウェルズリー大学で、今度は日本で言うところの非常勤講師のような身分で、主に初級のロシア語を中心に教え始めます…

Nabokov@Wellesley2: 19 Appleby Road, Sep. 1941 to Aug. 1942

ウェルズリー大学に職を得たナボコフがはじめてアメリカで腰を落ち着けた場所、というべき場所が19 Appleby Roadでした。ここにナボコフ一家は1年ほど住むことになります。ウェルズリー大学のキャンパスから15分ほどあるいたところにありました。 On their r…

Nabokov@Wellesley1: Wellesley College

ケンブリッジ市は前回まででひとくぎり。今度は周辺のゆかりの地をめぐってみましょう。 1940年にアメリカにやって来たナボコフはいくつかの大学で講師として仕事をしていました。ウェルズリー大学もそのうちのひとつでした。とりあえず、1941年から42年にか…

日本ナボコフ学会の秋の研究会

日本ナボコフ学会の秋の研究会が11月17日(土)に南山大学名古屋キャンパスでおこなわれる模様(参加無料、予約不要)。 発表二本、ナボコフ国際学会の報告です。 詳細は協会のHPでご確認ください。 (残念ながら、私は出席できませんが。)

Nabokov@Cambridge9: 6 Plympton Street, Grolier Bookshop

今回はやや番外編を。 ハーヴァード周辺の書店として巨大なCoop書店以外で目に付くのは、老舗のハーヴァード・ブック・ストアとグロリエ・ポエトリー・ブックショップでしょう。入り口です。6、7畳ほどの広さしかないですが、書架の上にはゆかりの作家の写…

Nabokov@Cambridge8: Sheraton Commander Hotel, Sanders Theatre, Apr. 1964

1964年4月、『エヴゲーニイ・オネーギン』訳注がようやく出版される運びになったため、アメリカを訪れていたナボコフはハーヴァードの朗読会に招かれました。 このときがナボコフにとって最後のreadingになったとともに、最後のケンブリッジ訪問になりました…

Nabokov@Cambridge7: 4 Kirkland Place, 1956

『オネーギン』の準備中に16 Chauncy Streetに滞在していたナボコフ夫妻は、ハーヴァードの比較文学科教授にして友人のハリー・レヴィンの家でさまざまな人々と旧交を温め合いました。レヴィンの妻エレーナはロシア系だったこともあり、ヴェラとはナボコフ没…

Nabokov@Cambridge6: 16 Chauncy Street, Feb. 1956

1956年2月、ナボコフは『エヴゲーニイ・オネーギン』訳注のための資料集めにまたまたケンブリッジを訪れます。その際宿泊したのが16 Chauncy Streetにあったホテルでした。これが最後の調査になります。 At the beginning of February the Nabokovs set off …

Nabokov@Cambridge5: 35 Brewster Street, 1737 Cambridge Street, Feb. - Apr. 1953

1953年の2月1日、ナボコフ夫妻は『エヴゲーニイ・オネーギン』の訳注の作業のため、ケンブリッジを再訪します。 最初、友人を介して紹介されたのが35 Brewster Streetにあった家でした。 On Feburary 1 the Nabokovs arrived at 35 Brewster Street, Cambrid…

Nabokov@Cambridge4: Widner Memorial Library

1953年から1956年頃まで、ナボコフはプーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』の英訳とその注釈の作業に本格的に取り組みはじめ、そのためになんどもケンブリッジを訪れています。 ナボコフが訳注『エヴゲーニイ・オネーギン』の資料集めのために、たびたび訪…

Nabokov@Cambridge3: 9 Maynard Place, Feb. -June 1952

コーネル大学に赴任したナボコフがケンブリッジに帰ってくるのは1952年2月、サバティカルをとった友人、ハーヴァード大学スラブ文学科教授、ミハイル・カルポヴィチの代わりとして教鞭をとるためでした。結局、6月20日まで滞在することになります。 スラブ科…

Nabokov@Cambridge2: 8 Craigie Circle, 1942-1948

続きです。ナボコフが初めて住んだケンブリッジの住所であり、以後、一時的に旅行や下宿で留守にすることはあっても、基本的にここを拠点にすることになりました。ブライアン・ボイドによると、アメリカでの住所としてはもっとも長く使われたとのことです。 …

Nabokov@Cambridge1: MCZ

まえがきを未読の方はこちらをご覧ください。 ナボコフは生物学の学位を持っていたわけではないですが、鱗翅類、とりわけシジミチョウ類については専門的な知識を持っていました。 ナボコフはハーヴァード大学比較動物学博物館(MCZ)に1941年10月から最初は…

ジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』

訳者の谷崎由依さんからジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』をご恵投いただきました。 ピュリッツァー賞・全米批評家協会賞・ロサンゼルス・タイムズ文学賞受賞! 元パンクロッカーで、現在は有名音楽プロデューサーとなったベニー。そして、有…

塩川伸明編、小松久男編、沼野充義編『ユーラシア世界2 ディアスポラ論』

編著者の沼野充義氏から『ユーラシア世界2 ディアスポラ論』をご恵投いただきました(だいぶ前ですが…)。ありがとうございます。 ユーラシア世界2 ディアスポラ論作者: 塩川伸明,小松久男,沼野充義出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2012/07/23メディ…

Nabokov@Cambridge0: Introduction

ウラジーミル・ナボコフの生涯はおおまかに ・ロシア時代(1899-1919) ・イギリス・ドイツ・フランス時代(1919-1941) ・アメリカ時代(1941-1960) ・スイス時代(1960-1977) の四つにわけられることが知られています。 それぞれの時期がほぼ均等、だいたい20年…

[メモ]ナボコフの詩の自己翻訳

少し前にちょっとおもしろい記事を教えてもらったのでメモ。Open Culture, June 26th, 2012 Vladimir Nabokov Recites His Early Poem of Transition, ‘To My Youth’ナボコフの詩の朗読のテープがみつかった、という内容です。 この朗読はBBCのために1954年4…

<ロシア文学と恋愛>in『群像』

『群像』9月号の特集「文学と、たかが恋愛されど恋愛」のコーナー「世界文学と恋愛」の<ロシア文学と恋愛>というお題で文章を寄稿しています。群像 2012年 09月号 [雑誌]出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/08/07メディア: 雑誌 クリック: 10回この商品…

消えた作家 ドミトリイ・バーキンを追って

『ロシア文化通信 群 GUN』40号に「消えた作家 ドミトリイ・バーキンを追って」という文章を寄稿しました。 『ロシア文化通信 群 GUN』は、ロシア文学専門の出版社群像社が年二回、友の会の会員向けに発行している会報です。ドミトリイ・バーキンという作家…

ウラジーミル・ナボコフの翻訳理論と『オネーギン』訳の生んだ波紋

論文「ウラジーミル・ナボコフの翻訳理論と『オネーギン』訳の生んだ波紋」が、 『翻訳研究への招待』に掲載されました。 『翻訳研究への招待』はオンライン・ジャーナルなのでだれでも読むことができます。 1. 序 2.『オネーギン』翻訳への道 3.1. “litera…

瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集

共訳した本が刊行されました。シギズムンド・クルジジャノフスキイ(上田洋子、秋草俊一郎訳) 『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』松籟社 瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集作者: シギズムンド・クルジジャノフスキイ,上田洋子,秋草俊一郎出版社/メ…

日本文学のなかのナボコフ――誤解と誤訳の伝統

書いた論文が掲載されました。「日本文学のなかのナボコフ――誤解と誤訳の伝統」『文学』岩波書店、第13巻第4号、127-143頁、2012年7,8月号。文学 2012年 08月号 [雑誌]出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2012/07/28メディア: 雑誌 クリック: 21回この商品を…

ウラジーミル・ナボコフの文学 ─その特徴と現代的意義─

さる7月3日、明治学院大学にお招きいただいて、 「ウラジーミル・ナボコフの文学 ─その特徴と現代的意義─」という講演をおこないました。(タイトル〔自分でつけた〕がひどいですが、内容は主にアメリカ文学からみたナボコフの受容史など)招待&来聴してく…

野口米次郎の場合(その1)

前々回、タゴールについて触れましたが、そのタゴールとも交流があり、アメリカで英語詩人「ヨネ・ノグチ」として活動し、戦中は愛国的な詩を書いたことで知られる「二重国籍者」こと野口米次郎について、最近出た大部のモノグラフを読んでみました。「二重…

西書評

拙著『ナボコフ 訳すのは「私」−−自己翻訳がひらくテクスト』を、『比較文学』54号で西成彦氏に書評していただきました。拙著の三章を頂点とみる批評で、実際この三章にかんしてはいままで最良の批評ではないかと思います。著作を世に問う(というと非常にオ…

メモ:タゴールの場合

ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)はベンガル語詩人でしたが、みずから英訳した詩集『ギタンジャリ』をイェーツに高く評価され、ノーベル賞を贈られました(1913)。最近出版された『ギタンジャリ』は英語との対訳詩集。タゴール詩集 ギタンジャリ―歌…