訳すのは「私」ブログ

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Nabokov@Cambridge2: 8 Craigie Circle, 1942-1948

続きです。

ナボコフが初めて住んだケンブリッジの住所であり、以後、一時的に旅行や下宿で留守にすることはあっても、基本的にここを拠点にすることになりました。ブライアン・ボイドによると、アメリカでの住所としてはもっとも長く使われたとのことです。

On September 1, 1942, the Nabokovs moved to Cambridge, fifteen minutes' walk from the Harvard campus and the M. C. Z., at 8 Craigie Circle, apartment 35, a dingy little third flat in a four-story brick apartment house at the end of a cul-de-sac. They would live here for almost another six years, the one exception to the otherwise nomadic pattern of their American existence. In this two-bedroom apartment, Véra and Dmitri shared one bedroom while Nabokov had the other, where he would write late into the night, walking about pencil in hand, "under an old lady with feet of stone and above a young woman with hypersensitive hearing," before settling down to sleep for four or five hours. AY 45-46

前回記事のMCZより西にむかってかなり歩きます。マサチューセッツ・アベニューを横断して、ウェスト・ケンブリッジ、クレイギー・ストリートの北側にクレイギー・サークルの入り口を発見。

袋小路のとおりに面して向かい合うように煉瓦造りのアパートメントが二棟たてられ、入り口が2箇所ずつあります。ナボコフが住んでいたのは西側の棟の奥の方、8 Craigie Circleです。

建物入口。

四階建ての建物の三階、35号室にナボコフ一家は住んでいました。

内部は別サイトですが、こんな感じだったようです。居間のほかにベッドルームが二つあり、片方をナボコフがひとりで使いました。家具調度の類はきわめて質素で、訪れた人はみなおどろいたとのことです。


このアパートの前で撮った写真が残っています。1942年末、ナボコフと息子ドミトリイ。少し外装が違うようですね。

ナボコフはこの建物からMCZとボストン近郊にある女子大、ウェルズリー大学に通うことになります。


この時代に書かれた代表的な作品に評論『ニコライ・ゴーゴリ』(1944)、『ベンドシニスター』(1946)があります。

ニコライ・ゴーゴリ (平凡社ライブラリー)

ニコライ・ゴーゴリ (平凡社ライブラリー)


本書の大部分は、一九四五年の冬から、一九四六年の春にかけて、わたしの生涯ではとりわけ波瀾のない、活力にあふれる時期に書かれた。[中略]夜の残りの時間には、マサチューセッツ州、ケンブリッジ、クレイギー・サークルにある薄汚い小部屋を鉛筆片手に歩きまわっていた。わたしの部屋の上には石のように重い足の老婦人が住んでいたし、下には、音に過敏な若い女性が住んでいた。274頁

ベンドシニスター (Lettres)

ベンドシニスター (Lettres)