訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

コーリー・スタンパー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』鴻巣友季子・竹内要江・木下眞穂・ラッシャー貴子・手嶋由美子・井口富美子訳、左右社

日本経済新聞』5月23日に書評を寄稿しました。

 

コーリー・スタンパー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』鴻巣友季子・竹内要江・木下眞穂・ラッシャー貴子・手嶋由美子・井口富美子訳、左右社

 

www.nikkei.com

 

 

[告知]『「世界文学」はつくられる――1827-2020』東京大学出版会

三冊目の単著の刊行が来月に迫りました。

 

『「世界文学」はつくられる――1827-2020』東京大学出版会

 

www.utp.or.jp

本ブログでも随時内容を告知していきます。

 

 

よろしくお願いいたします。

沼野充義『徹夜の塊3 世界文学論』作品社

沼野充義先生からご著書をご恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

沼野充義『徹夜の塊3 世界文学論』作品社

 

700ページをこす浩瀚な本になります。

 

www.hanmoto.com

この本についてはとてもすぐに読み切れるような内容ではないですが、

第三部の「詩と世界」が著者のごく初期の文章を収めているという点で興味深いです(「ルジェヴィッチ、あるいは生き残りの論理」1977年)。

著者の資質というか、根本は「マイナーポエット」愛好者であって(自分自身が詩人的なのですが)、本来なら「世界文学」のような大仰なテーマをあつかうはずではなかったのでしょう。

 

それが時代の変化とともになぜか「世界文学」に流れてしまったのですが、私は著者には今後むしろそういったマイナーポエットも研究でも一冊書いてほしいと思いました。(チェーホフはそこまでマイナーではないでしょう。)

 

 

 沼野先生、どうもありがとうございました。

沼野恭子『ロシア万華鏡――社会・文学・芸術』五柳書院

 沼野恭子先生よりご著書をご恵投いただきました。

沼野恭子『ロシア万華鏡――社会・文学・芸術』五柳書院

 

ロシアの風土に生きる人々の暮らし、笑い、活力、そして懐しさ−。東京外国語大学教授・沼野恭子が2007年よりおよそ10年間に書き溜めたロシアに関する文章をまとめる。「社会編」「文学編」「芸術編」で構成。

 

新聞をはじめ、さまざまな媒体に書かれた文章をあつめたものです。

とはいえ、ほかのどこにも書かれていない情報が書かれており、

いまでも勉強になり、研究のヒントをあたえてくれます。

沼野恭子先生、どうもありがとうございました。

 

honto.jp

中丸禎子・加藤敦子・田中琢三・兼岡理恵『高畑勲をよむ 文学とアニメーションの過去・現在・未来』三弥井書店

中丸禎子さんからご共著書を恵投賜りました。

中丸禎子・加藤敦子・田中琢三・兼岡理恵『高畑勲をよむ 文学とアニメーションの過去・現在・未来』三弥井書店

 

 

f:id:yakusunohawatashi:20200423142341j:plain

 

目次は次のようになっています。

 

 まえがき(中丸禎子)
◇シンポジウム◇「高畑勲の《世界》と《日本》」高畑勲氏インタビュー 
「新しい表現には、まだまだ先があるはずだ」(加藤敦子・兼岡理恵・田中琢三)
コラム 秋水一斗 風狂のアニメーション(加藤敦子
◇座談会◇ 小田部羊一さん、中島順三さんを囲んで 
高畑勲さんとアニメーション制作という仕事(大谷泰三・加藤敦子・兼岡理恵・田中琢三・ちばかおり・中丸禎子・西岡亜紀)
コラム 日本アニメのレジェンドたちとの幸せな時間 (田中琢三)
◆商業アニメ制作用語集(ちばかおり・中丸禎子・大谷泰三)
高畑勲の《日本》
火と幽霊―『火垂るの墓』のアニメーション化について(細馬宏通
コラム 「長じゅばん腰ひも」のゆくえ(中丸禎子)
個を持った少女の憂愁―『おもひでぽろぽろ』『かぐや姫の物語』の時間の表象(西岡亜紀)
走る女と忘れられた帝―『竹取物語』から『かぐや姫の物語』への継承と乖離(中野貴文)
「五コマ目」を紡ぐ
四コマ漫画ののちゃん』から『ホーホケキョ となりの山田くん』へ (兼岡理恵) 
物語・風流・浄瑠璃―芸能から読む『平成狸合戦ぽんぽこ』(加藤敦子
平家物語』読者としての高畑勲―アニメーション映画監督としての感性(鈴木 彰)
高畑勲と《世界》
◆桜井利和旧蔵ハイジ関連資料(大谷泰三)
マルコはハイジと夢を見る
高畑勲による海外児童文学のテレビアニメ化とその演出(ちばかおり)
放送劇音楽としての『母をたずねて三千里』付随音楽(井上征剛)
「わたしはおうきくなりたくない」
アストリッド・リンドグレーン『長靴下のピッピ』における赤毛と靴と長靴下(中丸禎子)
◆高畑さんからひとこと
ブックガイドから見た「世界」の「文学」
無着成恭の選定と岩波・福音館の児童書(佐藤宗子
幻燈劇としてのゲーテファウスト』―視覚文化史をみわたしつつ(縄田雄二)
高畑勲とフランス文学―『ことばたち』と『木を植えた男を読む』をめぐって(田中琢三)          
高畑勲 関連年表(田中琢三)                      
あとがき(兼岡理恵) 

 

編著者の中丸さんは「まえがき」(ぜひお手にとって直接お読みください)で、文学研究の衰退にどう抗っていくべきなのか書かれています。その姿勢に賛同しつつ(といっても安易に賛同だけするのも無責任なのですが)、自分はなにができるのかと考えずにはいられません。

 

※5月2日追記

「プロジェクト人魚」内のページに特設サイトができました!

www.rs.tus.ac.jp

 

中丸さん、どうもありがとうございました。

 

www.hanmoto.com

 

honto.jp

 

 

イサーク・バーベリ「公共図書館」(1916年) [※自粛翻訳]

公共図書館

イサーク・バーベリ

 

 足を踏みいれればすぐ、そこが書物の王国だとわかる。図書館で働く人々は本と親しみ、そこに映った人生に親しんでいるせいで、自分自身、生きた本物の人間の影と化している。

 受付係の男ですら、謎めいた静けさを身に纏い、思慮深い平穏の気に満たされている――その髪色も、黒髪とも金髪ともつかない、なにかその中間のように見える。

 日曜日には、彼らは家で――おそらく――工業用アルコールで酔って、妻を延々と小突きまわしているのだろう。でも図書館では騒ぎたてることもなく、差し出がましくもなく、陰鬱さのベールに包まれている。

 ここに、ある受付係がいた――彼は絵を描くのだ。その瞳には柔和な哀しみが湛えられている。二週間に一度やってくる、黒いスーツを着た太った男からコートを受けとるさい、彼は声を潜めてこんなことを呟いた――「ニコライ・セルゲイヴィチはぼくの絵をほめてくれたし、コンスタンチン・ヴァシリエヴィチもぼくの絵をほめてくれた。ぼくは小学校しかでていないし、ここを辞めたところでどうしていいかさっぱりわからない」。

 太った男はそれを聞いている。男は記者で、既婚者で、大食漢で、働きつかれていた……。図書館には二週間に一度、休憩するために来るのだった――刑事訴訟に目を通し、殺人事件がおこった場所の見取り図をせっせと紙片に描きうつすのだ――満足がいく出来だと、結婚していることも、仕事の疲れも忘れていた……。

 記者は驚き、当惑しつつも、受付係の話に耳をかたむけ、こう考える――こんな奴、どうあしらったものか? 出るときに十コペイカ貨を一枚やろうか――むっとするかもしれんな。芸術家だから。やらなければやらないでむっとするかもしれんな。とにかく受付係なんだから。

 閲覧室ではもっと上の職員がいる――司書だ。うち何人かは「目立つ」ものがいた――はっきりした肉体上の欠陥があったのだ。指が鉤状に曲がっていたり、頭が横に倒れたままになっていたりした。身なりも悪く、極端に痩せていた。あたかも、未知なる世界の、なにかの考えに憑りつかれてしまっているかのように見える。

 ゴーゴリなら、こうした人物をうまく書いてやっただろうに! 

司書で「目立たない」ものもいる――頭はうっすら薄くなりはじめ、清潔なグレーの制服を身につけている。目つきには折り目正しさがにじんでいたが、身のこなしは見ていて辛くなるほど遅い。口に何もはいってないとときでさえ、始終あごを動かせて、もぐもぐやっている――いつもの口癖をぶつぶつ言っているのだ。要は、本のせいでだめになってしまった人々だ――あの滋味に富んだあくびを禁じられたせいで。

 いま、戦時下にあっては、利用者も変ってしまった。学生はめっきり減った。学生はほとんどいない。ごくまれに学生がいるかと思えば、隅っこで益体もなく朽ち果てている。兵役免除者だ。この手合いは角製の鼻眼鏡をかけ、優雅にびっこをひいている。

 しかし、国家奨学生もいる。国家奨学生――なまっちろく、口ひげを垂らして、人生に倦んだ深淵なる思索家。ちょっと読書をしたかと思えば、ちょっと考えごとに耽り、ランプの模様をじっと眺め、また本に目を伏せる。いずれ大学を終えれば、兵役につかねばならない。でも、急いでなんになる? 急がずともいいじゃないか。

 かつての学生が図書館に帰ってくる――傷痍軍人のなりで、体には黒ずんだ包帯が巻かれている。怪我は癒えつつある。若く、血色もいい。ネフスキー通りでディナーを食べ、街を練り歩く。ネフスキー通りにはもう明かりが灯っている。『株式仲買人通報』の夕刊は、戦勝記念のパレードをはじめてしまう。エリセーエフ商店には発酵させたぶどうが並べられている。社交をするには時期尚早だ。軍人は昔の記憶をたどって公共図書館にいき、着席したテーブルの下で脚をうんと伸ばし、『アポロン』を読む。退屈だ。むかいに座っているのは女子学生だ。解剖学の勉強で、ノートに胃を模写している。出身はカルーガのあたりだろう――大きな顔、骨太で血色がよく、ひたむきで忍耐強い。恋人がいるとすれば、大正解だ――愛を育むためのよい材料になる。

 娘のそばに活人画がある――ロシア帝国公共図書館にはどこもつきものだ――寝ているユダヤ人。疲労困憊している。その髪は燃えるように黒い。頬は落ちくぼんでいる。額にはこぶがあって、口は半開きだ。ときどきいびきをかいている。どこから来たのかはわからない。どこかに居住権があるのかすらわからない。毎日、本を読んでいる。毎日、寝ている。顔にはおぞましい、根絶しがたい疲労の跡――ほとんど狂気のような――が浮かんでいる。本の受難者、あの格別な、ユダヤの不滅なる受難者だ。

 司書のテーブルのそばで、大柄な女性が好奇心丸出しといった様子で本を読んでいる――グレーのブラウスを着て、ふくよかな胸元をしている。彼女はあの、図書館で不意に大声をだす人物、本の記述にわざとらしいほど大仰に驚いて、有頂天になって隣人に話しかける人物のひとりだった。家で石鹸を作る方法をさがして、本を読んでいるのだ。年齢はだいだい四十五といったところか。正常だろうか? 少なからぬ人がそう自問する。

 もうひとり、常連客がいる。やせっぽちの大佐だ。ぶかぶかの上着を着て、幅広のズボンをはき、よくよく磨きあげた長靴をはいている。足は小さく、口ひげは煙草の灰の色をしている。ポマードを塗って、ダークグレーの色調の幅を引き出している。昔、彼は無能なあまり、大佐まで勤めあげることができず、そのせいで退役したとき少将になれなかった。退役すると、庭師や女中、孫をはなはだうんざりさせるようになった。齢七十三にして、自分の連隊の物語を書きとめなくてはならないという意識に目覚めた。

 大佐は本を書いている。何十キロもの資料を囲まれている。大佐は司書たちから好かれている――とても慇懃に挨拶するからだ。もう家人の気に障ることもない。よろこんだ女中は、長靴をこれ以上ないほどぴかぴかにしてやった。

 公共図書館にはありとあらゆる種類の人々が大勢いる。全部を書きとめることなど到底できない。ある輩など、ぼろぼろのなりですることと言えば、バレエについての豪華絢爛たる著作の執筆なのだ。顔はハウプトマンを悲劇的にしたようなご面相で、体は貧弱。

 もちろん、『ロシア帝国傷痍軍人』と『官報』の山をぺらぺらめくっている役人もいる。田舎の若者たちもいる――本を読みながら燃えているようだ。

 夜。ホールは薄暗い。テーブルには身動きしない人影が――疲労、知識欲、功名心の寄せ集め……。

 大窓のむこうでは雪がしめやかに降っている。近傍では――ネフスキー通りでは――生命が沸き立っている。遠方では――カルパティア山脈では――血が流れている。

 人生なんてそんなものさ【セ・ラ・ヴィ】。

 

一九一六

三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード 文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』フィルムアート社

鵜戸聡さんより、編書を恵投たまわりました。誠にありがとうございます。

 

三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード 文学理論 読み方を学び文学と出会いなおす』フィルムアート社

 

かなり固い理論的説明から、初学者向けのブックガイドまで

幅広い内容になっています。

 

filmart.co.jp

 

 

鵜戸さん、どうもありがとうございました。