遅報ですが、ナボコフの長編『賜物』の続編(第二部)が出版されました。
ナボコフ最大・最後のロシア語長編『賜物』に続編が存在することは以前から知られていましたが、ほぼ構想段階の断片であることから、いままで刊行されたことはありませんでした。
ところが今年4月になって、ロシアの文芸誌『ズヴェズダー(星)』が、「賜物:第二部」を突然刊行しました。
アーカイヴの草稿を読みとり、出版の労をとったアンドレイ・バビコフによる長い解説は、オンラインで読むことができます(ロシア語)。
内容はブライアン・ボイドの『ナボコフ伝』にほぼ書かれているとおりのものです。
- 作者: ブライアン・ボイド,諫早勇一
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2003/11/20
- メディア: 単行本
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関心がある向きは下巻の631頁以降を読んでみてください。
さて、これに対して反発したのが、ナボコフ研究の巨頭、アレクサンドル・ドリーニンでした。
最新号のNabokov Online Journal(vol,9, 2015)に「ディレッタニズムの蹉跌」という文章を寄稿したのですが(NOJは登録すれば無料で読めます、ただしこの記事はロシア語)、簡単に内容を要約すると、
・バビコフのナボコフのロシア語旧正字法ハンドライティングの読みは不正確である。
・バビコフの注は誤りも多く、素人仕事である。
・バビコフは草稿の解読の際に重要なエディションの問題の知識が不足している。
・バビコフの『賜物』第二部の(自分・ボイド・グレイソンの定説に反する)執筆時期についての新説は証拠不足である。
というものでした。
ドリーニンはこの論文の結末を「(ナボコフがなぜこの原稿を保管したのかはわからないが)明らかなのは、どんくさい素人(ディレッタント)が半世紀後に原稿を台無しにしてしまうためではないということだ」と締めくくっています。
ドリーニンの主張は「バビコフは素人だ」というものですが、バビコフは現在ロシアでもっとも精力的なナボコフ研究者のひとりで、英語テクストの翻訳や戯曲全集の編纂・刊行など、その貢献ははかりしれません。たしかに学位を持って教えているわけではないのですが、それをこう言い捨ててしまうのはどうなのか。
とはいえ、ドリーニンの指摘はおそらくどれも正しいことはたしかです。ちなみに、私はいままで実際に会った学者で、ドリーニン以上の文学者を知りませんし、その判断をほぼ百パーセント信頼します。とはいえ、バビコフが「ディレッタント」とすれば、だれがディレッタントではないのか。ドリーニンはおそらく自分と愛弟子のマリコヴァぐらいしか認めていないんじゃないかと思いますが。
ドリーニンは『賜物』続編ふくめ、未発表原稿の刊行に懐疑的なわけですが、これは理解できます。邦訳が刊行された『オリジナル・オブ・ローラ』もそうですが、明らかに「作品」としては読めないからです。今回刊行された草稿も分量は注付きで18頁ぐらいのものです。
- 作者: ウラジーミル・ナボコフ,中田晶子,若島正
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2011/03/22
- メディア: 単行本
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反面研究者としては自分がアクセスが難しい、あるいは読むことが困難な文献が刊行されるのは素直にうれしいこともあり、微妙なところです。今回の原稿も一度刊行されてしまった以上、訂正・改訂の上再刊行してほしいですが。
近年はこの草稿もふくめ、ナボコフの未発表草稿や未刊行書簡の刊行ラッシュになっており、もはやなにがでてきても驚かない、という風になってきました。