訳すのは「私」ブログ

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Nabokov and Laughlin: A Making of an American Writer

"Nabokov and Laughlin: A Making of an American Writer"

という論文をNabokov Online Journalの10/11号(2016/2017)に掲載してもらいました。

 

*最新号はなにもしなくても全文読めるのかと思っていましたが、

やはり登録(無料)が必要なようです。

こちらで全文読むことができます(pdfがひらきます。結構重いです)。

(いまの号の目次)

http://www.nabokovonline.com/current-volume.html

 

1940年にアメリカにやってきたナボコフが、いかに同地の「文壇」に同化していったのかを、編集者とのつきあいからさぐったものになっております。

 

 

NOJは前々号にも論文が掲載されたこともあり、

その際に多少説明しているので、こちらをご覧ください。

 

ちなみに、前号のNOJでは「『賜物』続編騒動」がまきおこっていました。

(これについては昨年エントリで書きました)

2015-09-25 - 訳すのは「私」ブログ

 

今号では、そのドリーニンの批判をうけて、バビコフによる反論と、

さらにドリーニンによる再批判が掲載されています。

この論争もいったんこれで落としどころでしょうか?

 

同じロシア人とはいえ、

(所属先)アメリカ/ロシア、旧世代/新世代、職業研究者/アマチュア

といった対立が表にでてきたな、といった感じがします。

 

日本だと、「アメリカ系の研究者/ロシア系の研究者」といった

非常に単純な図式で研究の流れをとらえがちなのですが、

 人材の流動性が高まっている現在、構図はより複雑化していることを認識する必要があるでしょう。

 

 

特集は「ナボコフと大衆文化」ですが(しかしこのテーマで日本の寄稿者がいないのはいかにも残念)、

ナボコフ本の世界一のコレクターであるMichael Juliarや、

黎明期のナボコフ研究をけん引したDonald Barton Johnsonのインタヴューなど、

特集や論文以外も充実しています。

 

ナボコフの誕生日にあわせて、4月22日から公開されていましたが、

ばたばたしていて告知が遅れました。

 

次号はナボコフの没後40周年に合わせて刊行・特集が組まれるのでしょうね。

 

興味・関心のおありのかたはお読みください。

 

(↓論文でとりあげたゴーゴリ論。この邦訳版にもいろいろつっこみどころがあるのですが、今回はスルーですね。)