"Nabokov and Laughlin: A Making of an American Writer"
という論文をNabokov Online Journalの10/11号(2016/2017)に掲載してもらいました。
*最新号はなにもしなくても全文読めるのかと思っていましたが、
やはり登録(無料)が必要なようです。
こちらで全文読むことができます(pdfがひらきます。結構重いです)。
(いまの号の目次)
http://www.nabokovonline.com/current-volume.html
1940年にアメリカにやってきたナボコフが、いかに同地の「文壇」に同化していったのかを、編集者とのつきあいからさぐったものになっております。
NOJは前々号にも論文が掲載されたこともあり、
その際に多少説明しているので、こちらをご覧ください。
ちなみに、前号のNOJでは「『賜物』続編騒動」がまきおこっていました。
(これについては昨年エントリで書きました)
今号では、そのドリーニンの批判をうけて、バビコフによる反論と、
さらにドリーニンによる再批判が掲載されています。
この論争もいったんこれで落としどころでしょうか?
同じロシア人とはいえ、
(所属先)アメリカ/ロシア、旧世代/新世代、職業研究者/アマチュア
といった対立が表にでてきたな、といった感じがします。
日本だと、「アメリカ系の研究者/ロシア系の研究者」といった
非常に単純な図式で研究の流れをとらえがちなのですが、
人材の流動性が高まっている現在、構図はより複雑化していることを認識する必要があるでしょう。
特集は「ナボコフと大衆文化」ですが(しかしこのテーマで日本の寄稿者がいないのはいかにも残念)、
ナボコフ本の世界一のコレクターであるMichael Juliarや、
黎明期のナボコフ研究をけん引したDonald Barton Johnsonのインタヴューなど、
特集や論文以外も充実しています。
ナボコフの誕生日にあわせて、4月22日から公開されていましたが、
ばたばたしていて告知が遅れました。
次号はナボコフの没後40周年に合わせて刊行・特集が組まれるのでしょうね。
興味・関心のおありのかたはお読みください。
(↓論文でとりあげたゴーゴリ論。この邦訳版にもいろいろつっこみどころがあるのですが、今回はスルーですね。)