訳すのは「私」ブログ

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大浦康介編『日本の文学理論――アンソロジー』(水声社)

中村ともえさんからご恵投賜りました。ありがとうございます。

 

大浦康介編『日本の文学理論――アンソロジー』(水声社

 

序 大浦康介著

概説 大浦康介著 中村ともえ著. 

小説の主脳は人情なり-『小説神髄』より-坪内逍遥著. 

直ぐ人生の隣りにゐる-「散文芸術の位置」より-廣津和郎著. 

私小説しか信用が置けない-「「私」小説と「心境」小説」より-久米正雄著.

内なる声と仮装-『小説の方法』より-伊藤整著. 

炭取が廻る-「小説とは何か」より-三島由紀夫著. 

情念の深層に働きかける-「言葉の呪術」より-古井由吉著. 

 

概説 久保昭博著 中村ともえ著. 

実際の有のままを写す-「叙事文」より-正岡子規著. 

写生趣味と空想趣味-「俳話(二)」より-高濱虚子著. 

描写はペインテングである-「描写論」より-田山花袋著. 

描写の気分-『人物描写法』より-徳田秋聲著. 

一元的描写-「現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論」より-岩野泡鳴著. 

客観的共感性への不信-「描写のうしろに寝てゐられない」より-高見順著. 

 

概説 河田学著 笹尾佳代著 西川貴子著. 

貴種流離の物語-『日本文学の発生 序説』より-折口信夫著. 

天上から下界を見下ろすやうな態度-「岩野泡鳴氏の描写論」より-生田長江著.

無人称の語り手-『感性の変革』より-亀井秀雄著. 

はなし・かたり・うた-『かたり』より-坂部恵著. 

ツリー・モデルからデータベース・モデルへ-『動物化するポストモダン』より-東浩紀著. 

 

概説 岩松正洋著 斉藤渉著 中村ともえ著. 

詩と非詩との識域-『詩の原理』より-萩原朔太郎著. 

指示表出と自己表出としての文学作品-『言語にとって美とはなにか』より-吉本隆明著. 

作品を「作品」であると保証する客観的な特徴はありうるか-『詩の構造についての覚え書』より-入沢康夫著. 

七五調は四拍子-『日本語のリズム』より-別宮貞徳著. 

換喩と提喩との違い-『レトリック感覚』より-佐藤信夫著. 

詩的レトリックは言語の規範性に対する違犯の関係である-『詩的レトリック入門』より-北川透著. 

 

概説 飯島洋著 北村直子著 日高佳紀著. 

歴史の「自然」から脱する-「歴史其儘と歴史離れ」より-森鴎外著.

エゴの確立と小説-「逃亡奴隷と仮面紳士」より-伊藤整著. 

媒介された現実としてのフィクション-「肉体文学から肉体政治まで」より-丸山眞男著. 

現実に「主人公」という人物は存在しない-「虚構と現実」より-筒井康隆著. 

小説言語を弁別する虚構記号-『小説の日本語』より-野口武彦著. 

フィクション性の根源はコンテクストの違いにある-「虚構について」より-外山滋比古著. 

 

概説 岩松正洋著 菊地暁著 笹尾佳代著. 

作品は作者の意識の如何に頓着なく、客観的な価値の対象となる-「文学の読者の問題」より-片上伸著. 

群は作者であり作者はただその慧敏なる代表者に過ぎなかつた-『口承文芸大意』より-柳田國男著. 

文学消費者を本位とする文学観-「文学における読者の問題」より-大熊信行著.

読者の主体的補充-『修辞的残像』より-外山滋比古著. 

大衆小説においては「観念共感」の比重はより大きい-『『宮本武蔵』と日本人』より-桑原武夫著. 

〈趣向〉の優劣のみが作品の判断基準となる可能性-『物語消費論』より-大塚英志著. 

 

概説 菊地暁著 久保昭博著 西川貴子著. 

形象と展開-『文学序説』より-土居光知著. 何事も発生学風に研究して行くことであります-『日本芸能史六講』より-折口信夫著. 

文学の歴史を貫くものを、ことばによる想像の〈開拓性〉あるいは〈創造性〉とみたい-『火山列島の思想』より-益田勝実著. 

物語は放逐されるべきモノの語りである-『語り物序説』より-兵藤裕己著.

フルコトとモノガタリ-『物語の起源』より-藤井貞和著. 

 

概説 大浦康介著 永田知之著. 

文学的内容の形式は(F+f)なり-『文学論』より-夏目漱石著. 

言語による存在の表現それ自身-「講義文学概論」より-九鬼周造著.

形象と情調の複合体-『文芸学概論』より-岡崎義惠著.

特殊な存在の裏に普遍的な本質をみる-『文学とは何か』より-加藤周一著.

文学はイデオロギーを形成する-「文学とはなにか」より-桑原武夫著.

「文学入門」という商品 岩松正洋ほか著. 

日本近代文学と「ジャンル」論-俳句と探偵小説を例として-岩松正洋著. 

ふたつの「第二芸術」論と詩歌 岩松正洋著. 

中国文学理論の日本への影響 永田知之著. 

欧米における私小説研究 ホルカ・イリナ著. 

美学から見た日本文学 近藤秀樹著. 

日本の演劇理論-近代演劇概念の成立をめぐって-中筋朋著. 

日本の映画理論 小川佐和子著

 

 

 

http://www.suiseisha.net/blog/?p=7258

 

 

日本人はナボコフをどう読んできたか

7月7日(土)15時より、勤務校で「日本人はナボコフをどう読んできたか」と題する講演をおこないます(無料、予約不要)。

 

アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像』の第四章には収録できなかった資料や翻訳をふくむ内容をお話しする予定です。

 

詳しくは下記ポスターにて。

 

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ナボコフのアーカイヴを訪ねて⑯ ハーヴァード大学ラモント図書館ウッドベリー・ポエトリー・ルーム

ハーヴァードヤード東にあるラモント図書館は主に学部生が使用する図書館で、季節によっては24時間空いていて、一階にはカフェも常設されています。

 

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その四階にあるウッドベリー・ポエトリー・ルームには、詩集を中心に資料が置かれていますが、いくつか貴重な音源も聞くことができます。

 

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hcl.harvard.edu

ナボコフ関連だと、1964年4月9日にナボコフがハーヴァードのサンダース・シアターでおこなった最後の朗読会があるのですが、

 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

このポエトリー・ルームではそのときの様子を録音した音源を所蔵しています。

 

Vladimir Nabokov at Harvard :[Nabokov reads excerpts from Pale fire, Lolita, and his own poems and translations of Russian poets

 

私がいったときはipodにいれたかたちで聴かせてくれました。

 

J-STAGEで過去の論文が読めます

比較文学』誌のバックナンバーのウェブ公開にしたがって、

過去に書いた論文や書評がJ-STAGEで読めるようになっています(随時追加されます)。

 

詳細検索結果

 

紀要は原則的に電子公開されていますが、ほかにも『通訳翻訳学会』や『ロシア語ロシア文学研究』などは無料でバックナンバー公開しています。

 

『通訳翻訳研究』アーカイブ

 

学会誌 - 日本ロシア文学会

 

ナボコフのあやまち

 『新潮』7月号に寄稿しました。

 

 「ナボコフの「あやまち」」『新潮』2018年7月号、194―195頁。

 

一般に愛妻家として知られナボコフが、

1937年のパリで嵌まり込んだ生涯ただ一度の「あやまち」、

イリーナ・グアダニーニとの不倫と、その後の顛末について書いています。

 

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刊行中の拙著『アメリカのナボコフ――塗りかえられた自画像』のコンパニオン・ピースとして書いたものですので、関心のある方はごらんください。

 

 

 

『翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて』「第一章  9・11後の翻訳――戦争技法を誤訳する」(抜粋)公開

 エミリー・アプター『翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて』の「第一章  9・11後の翻訳――戦争技法を誤訳する」(抜粋)を特設サイト内で公開しました。 

  

  9・11の衝撃が冷めやらぬなか、アラビア語通訳が払底していることがわかると、米国で翻訳が議論の的になった。突如白日のもとにさらされたのは、単独行動主義ユニラテラリズムと自国文化中心の対外政策の元凶である単一言語使用モノリンガリズムに、世界が激怒しているという事実だった。単一言語使用の慢心が、国務省諜報機関の翻訳能力への国民の信頼とともに霧消しても、多国籍軍の英語中心主義が生んだ精神的、政治的危険性が満足に検討されることはついぞなかった。誤訳の「テロ」はいまだ病理を特定できていないばかりか、機械翻訳に切り替えていく処置をとっても、恐怖を鎮める役にはほとんど立たない。イラク戦争開戦前の二〇〇二年十月二日、MSNBCはこう報じていた。

米軍がイラクを近日中に急襲した場合でも、捕虜の尋問から化学兵器の隠匿場所の特定まで、全局面で有用な電子翻訳機の助けをあてにできます。「手を上げろ」のような命令をアラビア語会話やクルド語会話に変換してくれるだけではなく、一刻を争う諜報活動にあっても、世界一難しい言語からの迅速な翻訳が可能だと軍当局者は期待をよせています(1)。

国防高等研究計画局DARPAが開発した「野外/戦場フイールド」使用目的の携行機械翻訳装置への依存は、ボスニア戦争では顕著に見られた傾向だった。広く使われたプログラムには、お気楽にも「外交官」なる名称がつけられていたものもあった。しかし、使用の結果あてにできないとわかり、ひどい場合には致命的な欠陥さえあった。誤訳の代償は死だ。戦争という劇場にあっては、マシンエラーはたやすく「同士討ちフレンドリー・フアイア」、あるいは標的の撃ちもらしによる死を招いてしまう。

 

 本書の中心的なテーゼである「戦争とは他の手段をもってする誤訳や食い違いの極端な継続にほかならない」が出てくる章でもあります。

 

私の考える誤訳とは、戦争技法上の歴とした事項だ――戦略および戦術に不可欠かつ、死体画像の解読法と不可分であり、軍需品マテリエルであって、つまり広義にはインテリジェンスのハードウェアとソフトウェアを指している。誤訳は国交断絶の別名であり、パラノイアじみた誤読の別名である。カール・フォン・クラウゼヴィッツによるいまだ実用に供する定義「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない(5)」をなぞって、私は「戦争とは他の手段をもってする誤訳や食い違いの極端な継続にほかならない」と言ってみたい。別の言い方をすれば、戦争とは無翻訳性や 、翻訳失敗状態 、暴力の極限に達したものだ。

 

 

 

 

ちなみに、原書の刊行元のプリンストン大学のサイトでも第一章を読むことができます。

press.princeton.edu

世界文学の「発明」、マディソン、一九五〇年――佐伯彰一の見た「世界文学」(下)

『UP』6月号に寄稿しました。
 
「世界文学の「発明」、マディソン、一九五〇年――佐伯彰一の見た「世界文学」(下)」『UP』47巻6号、2018年6月、6-13頁。
 
 
 『UP』5月号に書いた 「「中西部のある大学」――佐伯彰一の見た「世界文学」(上)」の完結編になります。
 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

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写真のように、ノートン版の世界文学アンソロジーの変遷を調べてみました。

また、今回のタイトルはエミリー・アプター『翻訳地帯』の第三章「比較文学の「発明」、イスタンブール、一九三三年」へのオマージュです。

 
 
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