訳すのは「私」ブログ

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ナボコフとエリオット――「ゲーム」から「モラル」へ、「歴史」から「伝記」へ

論文が刊行されました。

ナボコフとエリオット――「ゲーム」から「モラル」へ、「歴史」から「伝記」へ」『T.S. Eliot Review』27号、2016年、52-68頁。

 

 去年の11月に、日本T.S.エリオット協会で発表させていただいたことをまとめたものです。

 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

もう一年たつわけですね。早い。

 

内容はタイトルの通りのものですが、ナボコフがヒュー・ケナーの『パウンドの時代』に記したパウンドを揶揄した小詩などを引用しておきました。

 

以下にいただいた寄稿誌の目次を貼っておきます(タイプする余力がないので、写真で)。

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Nabokov@New York City10 304 West 75 Street

新しくわかったNYCでの滞在先を記しておきます。

 

亡命ロシア人で、編集者・ビジネスマンのロマン・グリンベルグのアパートにたびたび滞在していたようです。名前からしてユダヤ系でしょうね。

 

 ロマン・グリンベルグ(1893-1970)がナボコフと知り合ったのは1939年にパリで、英語の家庭教師の生徒としてでした。

 

その後も二人ともアメリカに渡ったこともあって交友はつづき、エドマンド・ウィルソンが共通の友達になったこともあって、グリンベルグのアパートでディナーをとることもあったようです。

 

グリンベルグは"Opyty" や "Vozdushnye Puti"といった雑誌のエディターでもあり、ナボコフは記事を投稿したこともありました。そういったこともあり、良好な関係が比較的長く続いたようです。

 

 コロンビアのバフメチェフにも書簡が収蔵されています。

 

ナボコフがグリンベルグのアパートに泊めてもらったのは、わかっている限り

 

・1945年2月 ごろ

・1952年12月22日ごろ

 

のようです。

 

肝心の場所ですが、304 West 75 Streetにあったようです。

 

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 地図でわかるように、AMNHのすぐそばです。ナボコフが滞在したのは、その辺の利便性もあったのかもしれません。

 

 

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現在の外観はこんな感じのアパートになっています。

日本ナボコフ協会秋の研究会のお知らせ

日本ナボコフ協会秋の研究会が、2016年11月12日(土)、南山大学名古屋キャンパスにておこなわれます。

 

The Nabokov Society of Japan

 

今回は研究発表1本、特別講演1本がおこなわれるようです。

 

(残念ながら、講演とかぶってしまい私は出席できませんが…)

 

Nabokov@New York City9 American Museum of Natural History

3年ぶりぐらいのシリーズです。

 

1940年代、ケンブリッジ・ボストン近郊に住んで、蝶についての調査をMCZで始めていたころのナボコフが、たびたび訪問したのがニューヨークのAmerican Museum of Natural History(アメリカ自然史博物館)です。

 

77番街―81番街、セントラルパークの西側に位置しています。

 

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 ↑は77番街側からの関係者入口&出口です。ふつうはセントラルパーク側の入り口から入ります。

American Museum of Natural History

 

なお、ちなみに現在は以下のような展示をおこなっていました。

www.amnh.org

 

 

いろいろ調べたところ、少なくとも、

 

1942年1月20日

1942年3月13日

1942年4月15日

1945年4月12日

1946年5月6日

1946年9月末?―10月?

1948年9月6日―7日

1952年12月23日

 

 …は博物館に通って、タイプ標本をチェックしたり、研究員のドス・パソスやコムストックと蝶や蛾の分類について議論したようです。

 

シリル・ドス・パソス(1887―1986)*1、ウィリアム・P・コムストック(1880–1956)はどちらもすぐれた昆虫学者だったようで、書簡を読むとナボコフが彼らとの交友を非常に楽しんでいたことがわかります。1948年にナボコフケンブリッジをはなれ、コーネルに移ることになるわけですが、それは安定した生活と引き換えにMCZでの研究を手放すことを意味していたわけで、そのことを伝える書簡はその辛さ、手放しがたさを訴えるものになっています。

 

もし、ナボコフがコーネルに職をえることがなく、ケンブリッジにとどまりつづけていたとしたら、『文学講義』シリーズはなかったでしょうが、鱗翅目研究についての大部の研究書が書かれていた可能性は十分にあるでしょう。

 

 

 

 ナボコフの鱗翅目研究については以下のエントリもお読みください。

 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

あるいは『ナボコフの塊』の付録、荒木崇先生のエッセイも。

 

 

 ナボコフと鱗翅目研究者のやりとりの(ごくごく)一部は、

 

 

に収録されています。

講演「北米における「世界文学」教育と日本文学の関係」@北海学園大学2016/11/12

きたる11月12日、日本比較文学会北海道大会にて、「北米における「世界文学」教育と日本文学の関係」と題した講演をおこなわせていただきます。

(内容は要旨と多少変更される予定あります)

 

d.hatena.ne.jp

よろしくお願いいたします。

 

先日の「術語としての「世界文学」」@『文学 世界文学の語り方』とも関連すると思います。

 

 

また、↓こちらとかかわってきます。

 

 

 

「術語としての「世界文学」――1895-2016――」『文学』2016年9・10月号

岩波書店『文学』の最新号に「術語としての「世界文学」--1895-2016--」という論文を寄稿しました。

「世界文学」というこの何気なく使っている言葉が、どのように入ってきて、時代時代の文脈に合わせて使われてきたのかを追った文章になっております。

 

この号の『文学』は「特集 世界文学の語り方」と題しまして、現在なにかと話題になることが多い「世界文学」について、さまざまな文学の専門家が論考を寄せたものになっております。

 

 特集のために、メンバーと1年以上にわたって、サントリー文化財団岩波書店の後援をえて、定期的に研究会を積み重ね、それぞれの専門知識を交換してきました。また、執筆者の多くは、ほぼ私と同年代の研究者(70年代後半から80年代前半生まれ)です。そのこともあって、最近の国際的な研究動向がかなり反映されたものになったと思います。私自身今まで多くの雑誌の「世界文学」特集に読んでいただきましたが、今回の特集は、ユートピア的、礼賛的な「世界文学」に飽き足らない向きに読んでいただきたいと思っております。

 

特集の目次は以下のようになっております。

 

《特集》世界文学の語り方

 

術語としての「世界文学」――1895-2016――            

秋草俊一郎

  

近代日本における漢文または漢籍の叢書について――その位置付けと盛衰――

上原究一

  

中村真一郎における王朝の発見――「世界文学」概念の受容と影響――

戸塚学

  

開かれたパンテオン――「プレイヤード叢書」をめぐって――

福田美雪

  

ナチス占領下の「世界文学」         

奥彩子

 

「父の娘」のノーベル文学賞――セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスの不思議な旅』が描く国土と国民のカノン――

中丸禎子

  

オリジナルなき翻訳の軌跡――ダニエル・アラルコンとアレクサンダル・ヘモンにおける複数言語と暴力性――

藤井光

  

世界文学と東アジア――夏目漱石魯迅李光洙と「新たな根源」――

橋本悟

  

小さな文学にとって〈世界文学〉は必要か?――あるいはチベットの現代小説を翻訳で読むことについて――

鵜戸聡

  

《書評》

1)文学を遠くから見る――フランコモレッティ「遠読」という方法――

山崎彩

  

2)エミリー・アプター 『翻訳地帯――新たな比較文学

山辺弦

 

3)文学的接触空間としての東アジア文学研究――カレン・ソーンバー『動的テクストの帝国』,『エコアンビギュイティ』――

松崎寛子

  

4)アレクサンダー・ビークロフト 『世界文学の生態学――古代から現代まで』            

デビッド・ボイド

 

5)ディーター・ランピング 『国際的な文学――比較文学研究分野への導入』  

井上暁子

 

特集の特徴として、書評を充実させました。 「世界文学」をめぐるここ10年の議論で頻繁に参照される文献を紹介したもので、よい「ブックガイド」になったと思います。ここだけ読んでもおもしろいと思います。

正直、日本だと、ごくごく基本的な了解も共有されていないことがあって、議論をしていてもその部分を確認するだけで終わるというのがひとつのパターンなので、発展的な議論をするためのインフラとしても研究書の翻訳やこういった書評は書かれるべきでしょう。現在は90年代と違って、さまざまな事情により(中間読者層の消滅、大学教員の多忙など)、欧米で重要だとされている研究書でもどんどん翻訳が出るという時代ではなくなっています。単に翻訳されたものだけを読んでいて議論していると、ギャップがどんどん開いていってしまうでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、『文学』は、長い歴史をもつ雑誌ですが(1933~)、今年をもって休刊することが決まっています。このことはメディアでも大きくとりあげられたので、記憶されている方も多いと思います。

 

www.asahi.com

本号(9・10月号)は、最後から二番目の号ということになります(penultimate issue)。歴史の終わりのほうに出番をいただけたことを大変光栄と思う一方で、そのような状況になっていることを原稿でも意識せざるをえませんでした。

 

『英語青年』、『言語』など、業界を牽引する雑誌が次々と休刊になっていますが、人文書が売れなくなっているのと同様、長年出版界を支えてきた「中間層」がいなくなっているという事態を示しているのでしょう。

仕方のない面もありますが、研究者が一般読者の目を意識する場がなくなると、学界もどんどん閉じたものになり、自分たちにわかる言葉でしか仕事をしなくなるのではないか、今後、若手が執筆を目標とする媒体がなくなってしまうのではないかという懸念は大きいです。

 

(↓ここ最近「世界文学」を特集した雑誌です。)

 

 

 

 

 

【インタビュー】「〈文学〉は情報化を欲望する―― デジタル・ヒューマニティーズの可能性」

「宇野常寛とPLANETS編集部」 からインタヴューをうけました。

 

有料になりますが、noteか、ニコニコチャンネルのブロマガのサービスから読めるようです。(さわりのみ無料で読めます)

 

ch.nicovideo.jp

 

note.mu

本の内容や、本が書かれた経緯についてかみくだいて説明しています。

加えてモレッティ自身、「デジタル・ヒューマニティーズ」研究者ではないですし、

私もDHをとりいれているわけではないのですが、

『遠読』が示唆するそのあたりの可能性について少しだけ触れております。

 

 

たまたまですが、今日は山形浩生さんがcakes連載の「新・山形月報!」の中で

ナボコフの塊』と『遠読』を取り上げてくれています。

 

cakes.mu

ご紹介、どうもありがとうございます。

ひとつ、インタヴューもうけたりして思ったのですが、『遠読』がDH文学研究の最先端だと思われると非常に語弊があるようです。

『遠読』はDHの文脈でもよく知られていますし、さきがけ的な存在であることはまちがいないのですが、実はアメリカでは現在もっといろいろな、めちゃくちゃなことがおこなわれていますので(「レベルが高い」かはわからないですが)、そういったことをどこかで簡単に説明しないとまずいなあ、と。

多少時間はいただきますが、そのあたり、私の知っている範囲でなにか文章を書くつもりです。