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訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

ナンシー・ヒューストンの場合

このブログ、ネタはかなりあるんですよね。書けるかどうかはともかく。

今日はナンシー・ヒューストンの場合。

ナンシー・ヒューストンはカナダの英仏バイリンガル作家。あのツヴェタン・トドロフの奥さんでもあるようです。英語が母語ですが、仏語で創作をはじめ、その後英語でも書くようになったようです。

日本でも著作が四冊ほど訳されていますが、仏語系の訳者が中心になって訳しているようです。

彼女が2008年に来日したときの講演はなかなか興味深いです。

ナンシー・ヒューストン「バイリンガリズムエクリチュール、自己翻訳−−その困難と喜び」野崎歓訳、『新潮』2008年12月号、239-252頁。

英語作品の仏語自己翻訳でカナダのゴンクール賞と言うべき総督大賞を1993年に受賞してしまったことで、強い非難を浴びることになった経緯は興味深いです。

「自己翻訳」についても語っています。

初めて自己翻訳をやってみてショックを覚えたにもかかわらず、それからも私は同じことをたえず経験することになりました。というのも、自分の作品を翻訳することで、その作品を改良することができるのだ、翻訳という苦しい道を通ることで、作品の余計な部分を取り除けるというのは大変なチャンス【傍点】なのだと気づいたからなのです。247頁。

後年、しみったれた大学研究者たちは彼[=ロマン・ガリ]の作品の英仏語バージョンにはどのような差異が、なぜ生じたのかをめぐって理論的展開をはかることになりますが、ガリはそんな研究者のことはお構いなく、伝達すること【傍点】だけを心がけていたのです。250頁。

自分で自作を翻訳するのはどんな気分か【傍点】、と人に聞かれたとき、私は(またしてもベケットを引用して)答えます。「自己翻訳とは私の知る唯一の政治的拷問の形態です」。実際、それは恐ろしい体験であり、好きになれるものではありません。251頁。

ほかにもおもしろい発言があるのですが、この辺で。

ちなみにこの記事は文芸誌の表題レベルで「自己翻訳」という言葉がはっきり使われた珍しい例だと思います。