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訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

西脇順三郎の自己翻訳(1)

自己翻訳

西脇順三郎(1894〜1982)が英語などの外国語から詩作に入り、
ジョイスなどの詩を多く翻訳したモダニズム詩人であったことはよく知られています。

他方で、彼が一部の自作詩を自分で訳したことがある「自己翻訳」の詩人だったことは
あまり知られていません。


日本語としては一冊目の詩集、『Ambarvalia』(1933)に収録された「哀歌」は自作のラテン語詩の自訳、「失楽園」は自作のフランス語詩の自訳でした。

西脇の研究者であり、英訳者ホセア・ヒラタは以下のように指摘しています。

その上ただ単に翻訳がなされているだけではなく、もっと重要なことに、翻訳言語とでもいえる、母国語を崩してしまう、もっとフロイト的に言えば、日本語という母を犯してしまう、奇妙な言語を西脇は作り出しているのだ。[中略]フランス語の原文は自然である。しかし、これは日本語奇妙としかいえない表現になっている。

ホセア・ヒラタ「西脇順三郎の詩と翻訳」『言語文化』19号、2002年。*1


戦後、西脇は基本的に日本語の詩人となりますが、
たびたび日本語の詩を英訳するなどしていたようです。


たとえば、交流があった詩人エズラ・パウンドは、送られてきた英詩 "January in Kyoto" を絶賛しましたが(1956年)、この詩は「しゆんらん」としてはじめに日本語で発表され、それを西脇自身が翻訳したものでした。その際、相当詩の内容に変更があったようです。

また、"to augustus" という英詩を池田美寿夫との合作詩画集のために自訳したこともあったようです。


しかしながら、こういった「自己翻訳」が積極的に評価されているような形跡はあまり見あたりません。というよりも、「自己翻訳」という言葉自体最近になって出てきたので、当時はそう認識されておらず、見過ごされてきたのだと思います。逆に言えば、探せばこのようなケースはまだあるのかもしれないです。


今回、以下の資料を参考にしました。

新倉俊一『評伝西脇順三郎』(慶應義塾大学出版会 2004年)

評伝 西脇順三郎

評伝 西脇順三郎

*1:この論文は次のURLで読めます(PDFが開きます)。http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/19hosea.pdf