訳すのは「私」ブログ

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エミリー・アプター『翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて』(慶應義塾大学出版会)、見本出来

共訳書、エミリー・アプター『翻訳地帯――新しい人文学の批評パラダイムにむけて』の見本ができました。

 

amazonでは14日発売になっていますが、店頭にはぼちぼち並んできそうです。

 

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Nabokov@New York City17 38 West 89th Street, September 5- 1943

1943年、ナボコフ一家は夏を一家でニューディレクションズ社の社主ジェイムズ・ロフリンの経営するユタ州のアルタ・ロッジで過ごしました。新学期のためケンブリッジに帰る途中、列車での旅だったようですが、どうもニューヨークに立ち寄ったようです。

 

アメリカ自然史博物館に収蔵された研究員との書簡で、ウィリアム・P・コムストック(1880–1956)に書き送った1943年8月27日の手紙があります。

 

yakusunohawatashi.hatenablog.com

 

その手紙で、6日の2時と、7日の午前と午後に自然史博物館によることを告げています(おそらく8日も)。もしなにかメッセージがあれば、38 West 89th Streetに送ってくれと。5日よりそこにいるから、と。

 

コムストックにはまえまえからアルタ・ロッジに行くことを報告していましたし、早速採集した蝶を見せたかったんでしょうね……。

 

肝心の「38 West 89th Street」ですが、自然史博物館の北、数ブロックのところです。ホテルとは書いていないので、誰かの住居に泊まったのかもしれないですが、判然としません。

 

9月初旬にはケンブリッジに帰り、ウェルズリー大学でまたロシア語を講じるようになります。

Nabokov@New York City16, Master Institute Theater, December 8 1951

ナボコフは1951年12月8日にもニューヨークでロシア語朗読会をおこなっています。

 

Early in December they jouneyed to New York, where on December 8 the Russian emigre community staged a Nabokov reading at the Master Institute Theater. Nabokov spent the first half of the evening talking on Gogol [. . .] and the second half reciting his own Russian poems. While in New York he also lunched with Pascal Covici of Viking Press, who was eager to publish whatever he could by Nabokov. AY p. 210.

 

 

 

この朗読会はマスター・インスティテュート・シアターでおこなわれたようです。

 

この「マスター・インスティテュート・シアター」というのがどこにあったのか、おそらく103rd and Riverside Driveにあったようなのですが、現在はマスター・アパーツメントと呼ばれている建物のようです。

 

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こちらもナボコフの手による朗読メモが残されていますが、研究者のマクシム・シュライヤーが議会図書館の草稿から、活字に起こして出版しています。

 

それによれば短編「動かぬ煙」をはじめとしたラインナップで、1949年の朗読会と似た構成になっています。

 

Владимир Набоков. Нью-Йоркский вечер. Публикация, предисловие и примечания Максима Д. Шраера. — “Новый Журнал”, Нью-Йорк, № 222 (март 2001 года)

 

これでニューヨークでの朗読会編はひとまず終わりです。

ナボコフ・コレクションの刊行時期について

かねてより告知していた新潮社ナボコフ・コレクションですが、

版元の都合により、刊行時期が変更になりました。

 

www.shinchosha.co.jp

4月刊行の予定だった第三巻ですが、12月刊行になりました。

(ちなみに私はすでに『密偵』の訳文と訳者解説を新潮社に送っています)

楽しみにしていた方には申し訳ないですが、しばしお待ちください。

Nabokov@New York City15, Academy Hall, 314 West 91 Street, May 7 1949

1949年5月、ナボコフはすでにケンブリッジからイサカに引っ越していましたが、ニューヨークでロシア語朗読会をおこないました。

 

当時の招待状は以下のようなものだったといいます。

相互扶助「希望」協会

ご招待

V・V・シーリンによる朗読会

「「詩と解説」の夕べ」

朗読会は5月7日夜9時「アカデミー」ホール、314 West 91 Streetでおこなわれます。

アッパーウェストサイドですが、当時ここに「「アカデミー」ホール」があったのでしょうか。

ボイドの伝記には以下のようにこの朗読会は紹介されています。

 

On Saturday night Nabokov read his poems at the Academy Hall on West 91st Street, explainig his Russian verse of the last few years in such a way that even the society minded in the audience responded with enthusiasm. He and Vera called on their Russian friends Anna Feign, Natalie Nabokoff, George Hessen, Nicolas Nabokov; Nabaokov played chess with Roman Grynberg, Hessen, Boris Nicolaevsky, and Irakly Tseretelli; and he and Vera attended the emigre Pushkin evening on Sunday.  AY. p. 139.

 

ちなみに、この朗読会のためにナボコフが用意したメモは、「一九四九年五月七日「著者による『詩と解説』の夕べ」のための覚え書き」として、『ナボコフの塊』に収録いたしましたので、興味がある方はご覧ください。

 

 

Nabokov@New York City14 Artist Club, 121 West 54 Street, November 10 1940

ナボコフのアメリカ到着直後の1940年におこなわれた二回目のニューヨーク朗読会は11月10日におこなわれました。また、現地紙『新しいロシアのことば』は予告を載せました。

 

121ウェスト54番街のアーティスト・クラブにて、明日の夜八時より、V・V・シーリンが自分の戯曲「事件」を朗読する。著者による朗読はいつも興味深いものだが、シーリンによる朗読はとりわけ芸術的で、アーティスティックなものだ。 

『新しいロシアのことば』1940年11月9日号

 

 「121ウェスト54番街」には現在「アーティスト・クラブ」は見当たりませんが、1940年代には亡命者たちが集まれるようなスペースがあったのでしょうか。

 

このときナボコフが朗読した「事件」 は、1941年4月4日にニューヨークのヘックシェル劇場で上演され、好評を博しました。

 

www.playbill.com

 

ちなみにこの戯曲「事件」は、最近出版された新潮社の「ナボコフ・コレクション」第二巻に収録されています。

 

 

Nabokov@New York City13 Hamilton Grange branch of the New York Public Library, October 12 1940

前々回、朗読会の場所について紹介したので、いくつかニューヨークでおこなわれたほかの朗読会の場所を紹介しましょう。

 

はじめに、記録にあるアメリカ最初の朗読会の話です。

 

1940年5月にニューヨークに到着したナボコフは、その年にいくつかニューヨークでもロシア語朗読会をおこなっています。

 

まず、10月12日に、ニューヨーク公共図書館の分館であるハミルトン・グランジ図書館で、朗読会をおこないました。以下が現地の新聞にでた予告です。

 

10月12日土曜日、145番街の公共図書館

V・シーリン(ナボコフ)の夕べ

作家が自作を朗読します。

紹介の言葉はL・I・タルタク。8時半開始。

『新しいロシアのことば』1940年10月10日号

 

マンハッタンの145番街にある公共図書館といえば、ハミルトン・グランジ図書館です。

 

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https://www.nypl.org/locations/hamilton-grange

 

このときの反応は同紙によれば、

 

ロシア文化の支持者で協会のホールは超満員になり、聴衆は非常に温かく、ときに熱くさえ、作家を出迎え、一音一音を固唾をのんで追った……。巨匠自身が詩を解説し、詩の言葉にくわえて、表情、身振り手振り、抑揚をつけ、声を高くしたり低くしたり、韻律を転換したりした……。『新しいロシアのことば』1940年10月15日

ロシア語作家V・シーリンの名声は海をへだてた新大陸のロシア人にも轟いていたようです。

 

つづきます。