ナボコフのエッセイ集(仮題:『ナボコフの塊』)の作業がぼちぼちすすんでいまして、
目次がだいたい固まったので先んじて公開します。
各タイトル、章立て、収録順などすべて仮のものですが、コンポーネント自体は動かないものと思われます。
ロシア語19編、英語19編、フランス語1編、計39編で、
当初30編ぐらいとしていたのでかなり増えてしまいました。
エッセイ集1921-1975(仮)
ロシアへの郷愁
・「ロシアの川」(1924年)・「ケンブリッジ」(1921年)
・「笑いと夢」(1923年)
「森羅万象は戯れている」――遊ぶナボコフ
・「塗られた木」(1923年)・「ブライテンシュトレーターVSパオリーノ」(1925年)
・「E・A・ズノスコ=ブロフスキー『カパブランカとアリョーヒン』、パリ」(1927年)
・「オペラについて」(1928年)
亡命ロシア文壇の寵児、V・シーリン
・「一般化について」(1926年)・「ソヴィエト作家たちの窮状について少々、およびその原因を特定する試み」(1926年)
・「美徳の栄え」(1930年)
・「万人が知るべきものとは」(1931年)
亡命文学の送り人
・「Ju・I・アイヘンヴァリドを追悼して」(1928年)・「A・O・フォンダミンスキー夫人を追悼して」(1937年)
・「ホダセーヴィチについて」(1939年)
・「定義」(1940年)
・「I・V・ゲッセンを追悼して」(1943年)
・「『向こう岸』へのまえがき」(1954年)
駆け出し教師時代
・「ロシア語学習について」(1945年)・「ロシア学のカリキュラムにおける位置」(1948年)
口うるさい書評家
・「イヴァン・ブーニン『選詩集』現代雑記社、パリ」(1929年)・「『現代雑記』三七号、一九二九年」(1929年)
・「ディアギレフと弟子」(1940年)
・「サルトルの初挑戦」(1949年)
文学講義補講 第一部 ロシア文学編
・「プーシキン、あるいは真実と真実らしいもの」(1937年)・「決闘の技法」(1964年)
・「レールモントフ『現代の英雄』訳者まえがき」(1958年)
文学講義補講 第二部 劇作・創作講座編
・「劇作」(1941年)・「悲劇の悲劇」(1941年)
・「霊感」(1972年)
蝶を追う人【バタフライハンター】
・「ピレネー東部とアリエージュ県の鱗翅目についての覚え書き」(1931年)・「Lycaeides Sublivens Nab. のメス」(1952年)
『ロリータ』騒動
・「ロシア語版『ロリータ』へのあとがき」(1965年)・「『ロリータ』とジロディアス氏」(1967年)
翻訳という闘い
・「翻訳の問題――『オネーギン』を英語に」(1955年)・「奴隷の道」(1959年)
・「翻案について」(1969年)
ナボコフとの夕べ
・「一九四九年五月七日「著者による『詩と解説』の夕べ」のための覚え書き」(1949年)・「ナボコフ氏受賞スピーチ」(1975年)
おまけ
・「ナボコフ風たまご料理」(1972年)
余裕があれば少し解説を書いていきます。