『琉球新聞』二〇一八年一〇月一四日ほか
橋本陽介『ノーベル文学賞を読む ガルシア=マルケスからカズオ・イシグロまで』角川書店
本書の「はじめに」で著者はノーベル文学賞作家の作品が「読まれていない」と言う。日本でも外国文学研究者が紹介や翻訳に尽力してきたことを思えば、一方的な物言いにたじろいでしまう。
というのも、本書でとりあげられる1980年代以降の受賞作家、オルハン・パムク、J・M・クッツェー、ガルシア=マルケスなどは、明らかに外国文学としては健闘している作家なのだから。しかし、これは現況でそのような「メジャー」な外国文学すら一般読者に読まれていないという危機感からの言葉だろう。
実際、本書のスタンスは、一般読者(と著者が想定する人々)に平易なことばでノーベル文学賞作家の作品を紹介するというものになっている。
本書の特徴は著者の率直な語り口だ。いわく、われわれはノーベル文学賞の権威をありがたがるだけで、内容を語らない。著者は日本の小説でも、外国の小説でも、自分の直感を基に「おもしろい」「バカバカしい」などと、フラットに語っていく。たとえば大江健三郎を取りあげた章では、作品が「少し雑」だと述べるのには恐れ入る。
著者の専門のナラトロジー(物語論)的な解説や、作品が書かれたコンテクストへの言及もあるが、翻訳を通じてのものが大半なので、かなり割り引いて受けとめる必要があるだろう。その点、著者のもうひとつの専門である中国文学の、高行健と莫言をあつかった章は安心して読むことができる。
高行健をとりまく政治的文脈と言語実験、莫言による「魔術的リアリズム」の独特の受容や、邦訳で莫言の過剰さが薄められていることを指摘する箇所などは、やはり著者の筆も生き生きとしている。
「日本人が受賞するかだけが過熱する」ノーベル文学賞のあり方に異議を唱えたい著者の意気込みを買う。ただ期待をあおるだけのメディアもあろう。そういった報道に振り回されたくはない。先人の訳者や研究者の業績をくみ、正しく伝える紹介者がもっと必要だ。
正直なところ、本書の著者や編集者は外国文学にはそれほど深くコミットしていないのかなあ・・・と思ってしまった本でした。