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【書評】ベン・ブラット『数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キング、J・K・ローリングからナボコフまで』坪野圭介訳、DU BOOKS

 『北日本新聞』二〇一八年八月一二日ほか

ベン・ブラット『数字が明かす小説の秘密 スティーヴン・キングJ・K・ローリングからナボコフまで』坪野圭介訳、DU BOOKS

 

 AIによる小説の執筆の可能性も議論される昨今、小説を読む上でもコンピュータを用いた試みに注目が集まっている。モレッティによる大量の小説を分析する『遠読』や、アーチャー、ジョッカーズによるベストセラー小説の法則を調査した『ベストセラーコード』など翻訳出版も相次ぐ。

 

 本書もそのようなコンピュータと統計を用いた新しい小説の読みかたを提供するものだ。たとえば、本書で検討される疑問は次のようなものだ。英語では一般に副詞が少なければ少ないほどいい文章とされるが、名作小説はその法則を守っているのか? 男性作家と女性作家で単語の使い方に差はあるのか? イギリス人よりアメリカ人のほうが「うるさい」表現を好むのか? 著者はこうした素朴な疑問を、小説をコンピュータに読ませて分析することで果敢に解決しようとする。


 こうした問いの答えには予想通りのものもそうでないものもある。しかし、個人的には予想から外れるものの方が示唆的に感じた。たとえば天気の話で始まる小説ほど陳腐なものはない気がするが、著者の調査ではアップダイクやフォークナー、スタインベックのような「文豪」にも、天候についての文で始まる作品が意外にあるのだ。こうしたところから各作家の作品にとって天候の描写がもつ意味を、精読して再考したくなる。


著者のベン・ブラットは文学の研究者ではない。そのため、本書の発想には驚かされることも多い。たとえばいくつかのリストを元に、「優れた」文学作品のグループを定めるのだが、アイン・ランド政治小説も、ジェイムズ・ジョイスの前衛小説も一緒くたにされてしまうのだ。しかし、だからこそ見えてくるものも多い。文系と理系、別々のテーブルに座っていてはなにも生まれない。同じテーブルについて、なにがお互いにとって常識で、なにが非常識か確かめることから発見が生まれる。そう、「知」は落差のあるところに生じるのだ。

 

 

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