訳すのは「私」ブログ

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『ナボコフ 訳すのは「私」――自己翻訳がひらくテクスト』(詳細目次)

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト

詳細な目次(章だけでなく節もふくめた)は以下のようになっています。


ナボコフ 訳すのは「私」――自己翻訳がひらくテクスト

まえがき


凡例


序章 自己翻訳とはなにか

ナボコフの生涯/ナボコフバイリンガリズムナボコフコンラッド/自己翻訳という「業」/自己翻訳の歴史/ナボコフベケット/自己翻訳と亡命/ナボコフクンデラ/自己翻訳という「勝利」/『ナボコフ・トランスレイテッド』/「大規模な改作」と「小規模な改作」/自己翻訳=改作?/原作>翻訳?/自己翻訳のオリジナリティー/「細部を愛撫せよ」/残された課題/自己翻訳を使った作品分析とは


第一章 ナボコフの「自然な熟語」――「一流」のロシア語から「二流」の英語へ

「二流」の英語?/ロシア語と英語の狭間で/「自然な熟語」とはなにか/ストーリーに織り込まれた慣用表現/「メノウのような目」――『ディフェンス』/「足から倒れる」――「報せ」/「すべての目で見る」――『目』/擬態を捨てた蝶


第二章 短編「報せ」――ホロコーストのあとさき

「報せを伝える」コンテクスト/付け加えられた名字/父称というシステム/ベルリンのユダヤ人たち/ナボコフユダヤ人/書きかえられた「報せ」/読者に感染する「言及強迫症」/自己翻訳に「誤訳」はあるか/絡み合うコンテクストの再生


第三章 短編「重ねた唇」――消えうせた杖と組みかえられたトリック

仕組まれたトリック――短編「ヴェイン姉妹」/風刺小説としての「重ねた唇」/登場人物の作品を添削する語り手/ロシア語版と英語版の違い/ナボコフの「異界」/英語版――消失した「杖」/ロシア語版――「彼女」を探せ/創作・自己翻訳の過程を復元する/残された杖/最後の謎――私信としての小説


第四章 『ディフェンス』――モラルをめぐるゲーム

ナボコフ小説の典型?/名前の告知/ルージンの「静かな手」/問いと答え/感情のアンビヴァレンス/ルージンの感情教育/おとりとしてのチェス/ソ連から来た少年/なにがルージンを殺したか/勝負の終わり(ルビ:エンドゲーム)/感想戦――モラルゲームとしての小説/『ディフェンス』から『ロリータ』へ


第五章 『ロリータ』――ヘテログロッシア空間としてのアメリカ

『ロリータ』の「言語」/『ロリータ』の「リンガ・フランカ」/フランス語をめぐる攻防自分を美化する語り手/ロシア語版『ロリータ』/揺らぐハンバート/怪しいフランス語/流された手紙/ガリア人の部分/ロリータとフランス語/「ロリータ」とはなにものか/人間の言葉/ふたつの『ロリータ』/トーク・トゥ・ハー


第六章 訳注『エヴゲーニイ・オネーギン』――樹影譚としての翻訳論

畢生の大著『オネーギン』訳注/抜け落ちた歯/ナボコフのアメリカ時代/『オネーギン』と自己翻訳/生物学者ナボコフ/写しとられた樹/翻訳の三類型/「チェリョームハ」の木陰で――ロシア語時代/香るチェリョームハ/短編「環」/セルフ・リファレンス・エンジンとしての翻訳/「ラセモサ」なしに――アメリカ時代/三冊の自伝/失われた樹を求めて/滲む景色/見いだされた樹/亡命の栄光と悲惨/花咲く庭で


第七章 ナボコフの「不自然な熟語」――エクソフォニー、あるいは「外化」から「異化」へ

母語の外に出た作家たち/「足短に言えば」――エクソフォニーとは/逸脱する慣用句/「密輸」された遺産/『オネーギン』から英語作品へ/同化と外化/エクソフォニーの血統


終章 訳された「私」

二つのテクストとの対話/自己翻訳という「作品」/二一世紀のナボコフ研究にむけて/小説のモラルから翻訳のモラルへ/「なによりやわらかな言語」/世界文学の中のナボコフ/小さなナボコフたち


あとがき、あるいは『ナボコフ 訳すのは「私」』と題する書物について


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