やや旧聞に属してしまうのですが、井上健先生に書評を書いていただきました。
[ http://www.als-j.org/maga.html:title=井上健「秋草俊一郎『ナボコフ 訳すのは「私」―自己翻訳がひらくテクスト』」『アメリカ文学研究』第49号、40−45ページ。]
〔前略〕翻訳研究(Translation Studies)が世界中でこれほど活況を呈しているにもかかわらず、作家の自己翻訳が正面切った論述の対象となるのはきわめて少ない。その理由は先ず、ジョージ・スタイナーに代表される、解釈学的観点に立脚する論者を除くと、翻訳研究はそもそも、翻訳と創作とのダイナミックな関係を――翻訳という営為を手がけること、他者のなした翻訳を読むこと、さらには、自作を翻訳することが、自らの創作行為にいかなるメカニズムにおいて昇華されていくのかを――対象化することを得手としてはいない、という点に求められるのだろう。多くの翻訳研究は、翻訳と創作との関係を、事実上、文体のレベルに還元して論じるか、あるいは認識論レベルの未知の領野を設定して、それを捜索する責務の多くを、ついには、作家論・作品論に委ねるほかはないのかもしれない。(42−43ページ)
井上先生、ありがとうございました。