『日本経済新聞』5月23日
コーリー・スタンパー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』(鴻巣友季子・竹内要江・木下眞穂・ラッシャー貴子・手嶋由美子・井口富美子訳、左右社)
メリアム=ウェブスター社と言えば、米国を代表する辞書の老舗として知られる。本書はそこで編集者として長年勤務した著者による辞書と言葉をめぐるエッセイだ。そう書くと、単語についての衒学的な蘊蓄や、言語学の権威の教授との心温まる交流話を期待する向きもいるかもしれない。しかし期待はいい意味で裏切られる。
辞書を編纂する立場には、一般に二通りがあるとされる。ひとつは、辞書は「正しい」言葉や用法(だけ)を載せる規範であるべきという考え方。それに対して、どんなものであれありのままの言葉や用法を記そうとする立場がある。
ウェブスター社のスタンスも、前者から後者へと変化してきた歴史がある。一九六一年に刊行された『ウェブスター新国際辞典』第三版は膨大な新語や非標準用法を収録して内容を一新し、一部識者から批判された。
実際、著者も述べるように、辞書は過去、「裕福で、教育を受けた、年配の白人の「都会人[の男性]」」によって編まれてきた。しかし言葉は一部の階層の人間のものではないから、これは変える必要がある。
そして著者が頭を悩ませるのも、辞書に黒人英語や方言を採録するべきか? 結婚という語の語釈に同性婚を含めるべきか? といったことだ。これらの問いに著者(とウェブスター社)はイエスと言うが、問題はそう思わない人間もいるということなのだ。
こう考えてみると、辞書作りとは高度に政治的な営みだとわかる。世間の人々は現在もいまだに辞書に規範としての役割を求め続けていて、自分の気に入らない用法や単語が掲載されているとネットニュースで知るや、何百通という抗議のメールを送ってくる。例文を書くのも一苦労で、「車を修理する」という文一つとっても、主語が常に「彼」であれば、ある種の偏見を助長しているととられかなない。現代において辞書を編むとは、火中の栗を拾うも同然の難事なのだ。
しかしこのようなある意味で生臭い話を、著者はユーモアを交えて実例を引きつつ語ってくれる。辞書こそが私たちの生活と密接に結びついたアクチュアルな読み物だと気づかせてくれるのだ。