『図書新聞』の9月24日号に、イギリス文学者の武田将明氏によるダムロッシュ『世界文学とは何か?』の書評が掲載されていました。
手際よく内容を紹介しながら、かなり専門的にも踏みこんだものなっています。ありがとうございました。
個人的にはこの書評を読んで、なぜ私がこの本を訳してみようと思ったのか、あらためてよくわかりました。
評者は本書をこう批判しています。
特定の立場に囲われないダムロッシュの姿勢は確かに文学作品の豊かさに気づかせてくれるが、逆に『文学』の多義性によって言説の政治性をないがしろにする危険とも隣り合わせてではないか。[中略]たとえば彼のかつての同僚エドワード・サイードが存命ならば、本書の作品への接し方のすべてを「倫理的」と認めるだろうか。
文学研究をしていると、「常に政治化せよ」という無言の、それこそ政治的圧力をひしひしと感じることが(私には)たまにあって、息苦しいときがあります。ダムロッシュの本にはそれがないですから。
そしてダムロッシュの本に「倫理」があるとすれば、未知の世界にある本を読むこと、異国の言葉を学ぶこと、それをひたすら続けるその姿勢こそが「倫理」なのだ、ということではないでしょうか。
自分の専門分野でないから読まない、ひとつの言語しか学ばない、そういった閉じられた姿勢こそがダムロッシュにとっては「悪」なのでしょうね。なんのリスクも背負わずに、閉じられた世界でひたすら正しくてもこれっぽちの意味もないことを本書は言おうとしているのではないでしょうか。