このブログではネタを備忘録的に放り出しておくだけで、特に掘り下げることはしないんですよ(言い訳)。
今日読んだ管啓次觔の『本は読めないものだから心配するな』(左右社、91頁)によれば、
「エクソフォニー」とは外の言語で書くという実践、「オムニフォン」とは一言語に浸透する世界の響きを聴きとろうとする意識のことだ。
「オムニフォン」はやはり管による同名の著作*1で提唱された概念、「エクソフォニー」とは多和田葉子による同名の著作*2で提唱された概念です。
ただ、こうした概念がそういった著作の中で完全に理論化されているかというと、そうではなく、むしろ著者たちは緻密な分析を避けるかのように言葉と戯れながら書いているところがあります(管は詩人でもある)。
まあ、学者サイドは新しい言葉をひねり出すだけで終わりではなく、残念ながらひとつひとつ確かめていかなくてはなりません。
たとえば
戸塚学「堀辰雄「不器用な天使論」−−翻訳から小説へ−−」(『日本近代文学』81集、2009年)
という論文が手元にあります。
コクトーの詩やエッセイなどを翻訳していた堀辰雄の作風が、コクトーに影響を受けているということは以前から指摘されていましたが、この論文は堀の翻訳と創作を実際に丁寧に読み比べてその影響を測定しています。
私がとくに興味深いと思ったのは「不器用な天使」の冒頭にでてくる「ジャズが僕の感覚の上に生まの肉を投げつける」という表現が「グラン・テカール」の「黒人達はトランペットの音を生肉を投げるように投げつけた」(原文フランス語)という表現からの<翻訳>だったと(直筆原稿への調査もへて)判明するところです。
この論文にはほかにも興味深い指摘がありますが、「オムニフォン」や「エクソフォニー」が学者の実証によって確かめられた例だと言えるかもしれません。
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