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脇田裕正『降り坂を登る――春山行夫の軌跡 一九二八─三五』(松籟社)

脇田裕正先生より、ご著書をご恵投賜りました。誠にありがとうございます。

 

脇田裕正『降り坂を登る――春山行夫の軌跡 一九二八─三五』(松籟社

 

  

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「批評の終局の目的は、既に他によつて書かれたものに判決を下すための法則を造りだすことにはない。否制作の法則を確立することにある」
  ──詩を詩とする条件を、文学を文学たらしめる条件を厳密に定義しようとした春山行夫。彼の戦前の文芸批評家としての活動はほぼ忘却されているが、「制作の法則」としての文学の原理を追究したその批評は、近代日本の文芸批評の主流たる小林秀雄的な批評とは対極にあるものとして今日の再検討が待ち望まれている。
  春山が文芸批評家として主に活動した1928年から1935年までを検討範囲とし、この間に発表された膨大なテキスト群を渉猟しつつ、春山の批評の独自性を明らかにする意欲的論考。

 

【主要目次】
序章

第一部    モダニズムアヴァンギャルドの間で─『詩と詩論』時代の春山行夫の詩論について──一九二八─三一
    第一章    モダニズムの詩人の肖像──春山行夫の「ポエジイ」と言語の実験
    第二章    ユージン・ジョラス─V・F・カルヴァートン─春山行夫──モダニズム文学とプロレタリア文学の間で

第二部    詩人から文芸批評家へ──一九三一─三三
    第三章    「全部が一度に僕達の世界に流れこんできた」──文芸批評家としての春山行夫
    第四章    文壇の批評家としての春山行夫──ジェイムズ・ジョイスと「「意識の流れ」と小説の構成」
    第五章    印象批評の一典型──小林秀雄の文芸批評と龍胆寺雄のロマン論

第三部    世界と日本の批評の間で──一九三三─三五
    第六章    「砂漠の小説論」──日本文学と世界文学の間で
    第七章    危機のなかで「人間」に逆らう─春山行夫の反時代的考察
    第八章    田舎と都会──V・F・カルヴァートンと春山的モダニズム

おわりに──モダニズムの肖像としての春山行夫