訳すのは「私」ブログ

書いたもの、訳したもの、いただいたものなど(ときどき記事)

【書評】ノラ・イクステナ『ソビエト・ミルク――ラトヴィア母娘の記憶』(黒沢歩訳、新評論)

 『日経新聞』2019年12月7日

 

ノラ・イクステナ『ソビエト・ミルク――ラトヴィア母娘の記憶』(黒沢歩訳、新評論

 

 

 本作は、バルト三国の一国、ラトビアで刊行されてベストセラーになった。ラトビアは長年にわたって大国に翻弄されてきた。第一次大戦中に悲願の独立を果たしたものの、第二次世界大戦中にソビエトに占領され、連邦内の一共和国になった。小説は四四年生まれの母と六九年生まれの娘の語りが交互に繰り返される形式をとるが、そこには九一年の再独立に至るまでの半世紀にわたるラトヴィアの歴史が織りこまれている。

 

 母はソ連に従順な母親と義理の父親に反発して医師になり、猛烈に働く。煙草や酒に依存しながら仕事に没頭する母は、行きずりの男との間に娘をもうけるが、自分には母親の資格がないと思いこみ、授乳も拒否する。ここにはソビエト期、社会主義の名のもとに女性も男性並みに働くことが求められながら、家庭での役割は変わらなかった事情が反映されている。

 

 しかし母はある事件を起こし、地方の救急センターに移らざるをえなくなる。周囲からも白眼視される。ソビエトへの忠誠心が常に求められ、ロシア語教育が重視された時代。通りの名前もラトビア人からキロフ、ミチュリン、ゴーリキーのようなソビエトの偉人に改名されてしまっている。それでもラトビア文学に触れることで、娘はラトビア人としての心を取り戻していく。母も仕事の傍ら、「禁書」だったオーウェル『一九八四年』を熱心に読み、心をつなぎとめようとする。ここに織りこまれているのは一国の文学史でもある。

 

 魂の自由を求める母の物語は『一九八四年』と同じように破滅的な結末を迎えるが、娘(明らかに著者自身が重ねられている)は、自分が親であるかのように母を庇護しようとする。母とは違って、娘が生きるのは傷ついた世代への赦しと民族の再生という物語だ。

 

 ラトビア語話者は二百万人いる人口の六割程度に過ぎないにもかかわらず、本書の売り上げは五万部を超え、英語をはじめ各国語に翻訳されて流通している。現在のラトビアはEUの加盟国となり、ソビエトだった過去とは決別したかのように映る。本作はその新しいラトビアの、ナショナル・アイデンティティを定義しつつも、同時にナショナル・プライドを満たす「国民/世界文学」となりうる小説だろう。

 

https://amzn.to/3AdD4bR